百瀬結
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百瀬 結(ももせ ひとし、1897年11月1日 - 1982年12月24日)は日本の実業家。元日本ビクター社長・会長。ビクター中興の祖。
人物
[編集]長野県東筑摩郡片丘村北内田(現・松本市)に生まれる。1918年旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)卒業、1924年旧制東京商科大学(のちの一橋大学)卒業。
住友銀行人形町支店長等を経て、1950年住友銀行常務。1951年、鈴木剛頭取と共に借金の膨らんだ東映に11億円(2006年の貨幣価値に換算すると数100億円)[1]の融資を行う[1][2]。交渉相手は五島慶太・五島昇親子で[1]、東映再建が失敗していたら五島家は破産していたといわれる[1]。1952年、松下幸之助の要請を受け松下電器産業入社、1953年取締役就任。
1953年日本ビクター副社長に就任。野村吉三郎社長とともに、同社の再建にあたる[3]。
1962年から1970年まで日本ビクター社長、1970年から1973年まで同会長。同社の経営基盤を築く。5億円の借金を5年で完済。[3]。徹底した無駄の排除を進め、「モモケチ」 と呼ばれた[4]。このほか1970年からFM東京取締役。
1982年12月24日、東京都杉並区清水の自宅で死去。享年85。東京カテドラル聖マリア大聖堂で社葬が開かれた。
家族
[編集]妻の鄙子は海軍軍医少将・戸塚環海(戸塚文海の養嗣子)の四女[5]。
褒章
[編集]1967年勲三等旭日中綬章、1975年勲二等瑞宝章受章、1986年マスコミ功労者顕彰[6]。
脚注
[編集]- ^ a b c d 『私の履歴書 経済人26 五島昇』日本経済新聞社、2004年6月1日、177-178頁。ISBN 453216902X。
- ^ 岡田茂『悔いなきわが映画人生:東映と、共に歩んだ50年』財界研究所、2001年、238頁。ISBN 4-87932-016-1。
- ^ a b 1982/12/25, 日経産業新聞
- ^ 『日本ビクター50年史』、1977年、日本ビクター株式会社
- ^ 戸塚環海『人事興信録』第8版、昭和3(1928)年
- ^ 1986/06/25, 日経産業新聞