皇帝フランツ・ヨーゼフ1世救命祝賀行進曲
『皇帝フランツ・ヨーゼフ1世救命祝賀行進曲』(こうていフランツ・ヨーゼフいっせいきゅうめいしゅくがこうしんきょく、ドイツ語: Kaiser Franz Joseph I, Rettungs-Jubel-Marsch)作品126は、ヨハン・シュトラウス2世が作曲した行進曲[1][2]。
邦題
[編集]- 『皇帝フランツ・ヨーゼフ危機脱出記念行進曲』
- 『皇帝フランツ・ヨーゼフ解放祝典行進曲』
- 『皇帝フランツ・ヨーゼフ1世万歳!』
などの邦題が用いられることもある。
解説
[編集]1853年2月18日、若きオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は副官マクシミリアン・カール・オドネル伯爵一人のみを引き連れてブルク稜堡を散歩していた[3]。その時、2週間前から暗殺の機会をうかがっていた愛国的なハンガリー人の仕立物師ヤーノシュ・リーベニに襲撃され、フランツ・ヨーゼフ1世は後頭部の骨を損傷する重傷を負った[4]。4年前に過酷なハンガリー弾圧があったことで、一部の急進的なハンガリー人は皇帝に怨みを抱いていたのである。
皇帝暗殺未遂事件が起こったことを知ったヨハン・シュトラウス2世は、皇帝の命が救われたことを祝って作品を献呈しようと考えた。シュトラウスはかつての1848年革命の際に革命側に与したことによって、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世ら宮廷側から疎まれる存在になってしまっていた。そのため、シュトラウスは何とかしてフランツ・ヨーゼフ1世の勘気を解こうと、『皇帝フランツ・ヨーゼフ行進曲』や『戦勝行進曲』などいくつもの体制賛美の曲を作った[5]。この『皇帝フランツ・ヨーゼフ1世救命祝賀行進曲』も、そうした皇帝に献呈された曲のひとつである。
最後の部分には、皇帝への忠誠を示すためにハイドン作曲のオーストリア帝国国歌『神よ、皇帝フランツを守り給え』のメロディーが採り入れられている[6]。
ニューイヤーコンサート
[編集]ウィーンフィル・ニューイヤーコンサートへの登場は以下の通りである。
- 1980年 - ロリン・マゼール指揮
- 1999年 - ロリン・マゼール指揮
- 2003年 - ニコラウス・アーノンクール指揮
出典
[編集]参考文献
[編集]- 江村洋『フランツ・ヨーゼフ:ハプスブルク「最後」の皇帝』東京書籍、1994(平成6)年9月20日。ISBN 4-487-79143-X。
- 平田達治『輪舞の都ウィーン』人文書院、1996(平成8)年5月25日。ISBN 4-409-51040-1。
- 小宮正安『ヨハン・シュトラウス:ワルツ王と落日のウィーン』中央公論新社〈中公新書〉、2000年12月10日。ISBN 4-12-101567-3。
- 加藤雅彦『ウィンナ・ワルツ:ハプスブルク帝国の遺産』日本放送出版協会〈NHKブックス〉、2003年12月20日。ISBN 4-14-001985-9。