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皇甫 徽(こうほ き、生没年不詳)は、中国の南北朝時代の人物。字は子玄。本貫は安定郡朝那県。
南朝斉の秦梁二州刺史の皇甫澄の子として生まれた。梁に仕えて諸王の参軍を経て、安定郡太守・略陽郡太守となった。北魏の正始2年(505年)、妻の父(妻の叔父とも)の夏侯道遷に従って北魏に帰順した。夏侯道遷は勲功を上書して、皇甫徽を元謀としようとしたが、皇甫徽は「はかりごとに関与していないのに、賞与を貪っては内心に恥じることとなります」と言って断った。梁州刺史の羊祉にそのまじめさを買われて、征虜府司馬に推挙された。
- 『魏書』巻71 列伝第59
- 『北斉書』巻35 列伝第27
- 『北史』巻38 列伝第26