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益之宗箴(えきし そうしん)は、室町時代の臨済宗の僧。俗姓は織田[1]。
叔英宗播の室に入り、その法を嗣ぐ[1]。京都相国寺雲頂院に入り、のち同寺の蔭凉軒の主となり僧録を補佐する[1]。文明17年(1485年)京都天竜寺の住持となる[1]。室町幕府第8代将軍足利義政の東山山荘の造営の補佐もつとめた[1]。書も能くした[1]。