益田親愛
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生誕 | 1768年(明和5年) |
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死没 | 不明 |
改名 | 兼充[1]→親賢[1]→親愛[1] |
別名 | 幼名:清之助[1] |
藩 | 長州藩士 |
氏族 | 益田氏(問田益田家) |
父母 | 父:益田就白[1]、母:家女房[1] |
妻 | 毛利就貞の娘[1] |
子 | 元固、毛利房謙室、毛利房顕室、毛利房嘉室 |
益田 親愛(ますだ もとちか、明和5年(1768年) - ?)は、江戸時代中期の長州藩重臣。寄組問田益田家(4096石)の6代当主。
生涯
[編集]明和5年(1768年)に長州藩重臣益田就白の嫡男として生まれる。長州藩第8代藩主の毛利治親より偏諱を受けて親賢、のちに親愛と名乗る[1]。また初名に兼充が伝わる[1]。通称は清之助[1]。
天明3年4月15日(1783年5月15日)、『新陰柳生家当流秘伝書』を問田益田家の家老である益田市郎右衛門に伝授した[2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 防長新聞社山口支社編 編『近世防長諸家系図綜覧』三坂圭治監修、防長新聞社、1966年3月。 NCID BN07835639。OCLC 703821998。全国書誌番号:73004060。国立国会図書館デジタルコレクション
- 『益田高友家文書』 (山口文書館)