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相生芳藏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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相生 芳藏
基礎情報
四股名 相生 芳藏
本名 永田 芳造
生年月日 1862年
没年月日 1888年3月16日(満27歳没)
出身 伯耆国八橋郡(現:鳥取県東伯郡
身長 不明
体重 不明
所属部屋 華の峰部屋(京都相撲)→玉ノ井部屋
得意技 寄り、押し
成績
現在の番付 引退
最高位 西前頭8枚目
生涯戦歴 17勝9敗6分2預1休(4場所)
幕内戦歴 2勝3敗4分1休(1場所)
データ
初土俵 1886年5月場所
入幕 1888年1月場所
引退 1888年1月場所
備考
2019年7月14日現在

相生 芳藏(あいおい よしぞう、1862年 - 1888年3月16日)は、伯耆国八橋郡(現:鳥取県東伯郡)出身の元大相撲力士。本名は永田 芳造(ながた よしぞう)。

経歴

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1862年伯耆国八橋郡(現:鳥取県東伯郡)で生まれる[1][2]。当初は京都相撲に加入しており、華の峰部屋に所属していたと伝わる。1886年5月場所において二段目(現:幕下)で初土俵を踏むと5勝2敗1分の好成績を残した。それ以降の昇進が早く、1887年1月場所では西十両4枚目に位置付けされた。1888年1月場所で新入幕を果たすと西前頭8枚目まで番付を上げ、同場所8日目(2月5日)の対嵐山捨吉戦では、取組中に嵐山の廻しが外れる珍事が発生した(明治時代以降では史上初の出来事[3])。

突き・押しを得意としており[4]、若さもあって将来を嘱望されたが、同場所終了後に原因不明の熱病に襲われ、千秋楽から僅か1ヶ月後の同年3月16日に東京・赤十字病院で死去、27歳没。

主な成績

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  • 通算成績:17勝9敗6分2預1休 勝率.654
  • 幕内成績:2勝3敗4分1休 勝率.400
  • 現役在位:4場所
  • 幕内在位:1場所

場所別成績

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相生 芳藏
春場所 夏場所
1886年
(明治19年)
x 東十両10枚目
5–2
(1引分)
 
1887年
(明治20年)
西十両4枚目
5–1
(1引分)
 
西十両2枚目
5–3
(2預)
 
1888年
(明治21年)
西前頭8枚目
2–3–1
(4引分)
 

引退
––[5]
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

改名歴

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  • 相生 芳藏(あいおい よしぞう)1886年5月場所 - 1888年1月場所

脚注

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  1. ^ 相生 芳藏 力士情報
  2. ^ 北条町歴史民俗資料館 編『因伯の大相撲力士たち』出版社、2001年。 NCID BA54745267 
  3. ^ マワシが外れて「チン」出し珍場面ブログ(2010年1月16日記事)
  4. ^ 入幕順幕内力士一行紹介・十九(相撲評論家の頁)
  5. ^ 3月16日に死去

関連項目

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