相良正任
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時代 | 室町時代 - 戦国時代 |
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生誕 | 永享2年(1430年)[1]か? |
死没 | 不詳 |
改名 | 鬼太郎?(幼名)→正任 |
別名 | 鬼太郎?(幼名) |
官位 | 遠江守 |
主君 | 相良頼観→大内政弘→義興 |
氏族 | 藤原南家為憲流相良氏 |
父母 | 父:相良頼観? |
兄弟 | 正任 |
子 | 武任、勝屋興久 |
相良 正任(さがら ただとう)は、室町時代から戦国時代にかけての武将。周防・長門国の守護大名大内氏家臣。肥後国の国人領主相良氏一門、多良木相良氏(上相良氏)の一族とされる。
生涯
[編集]文安5年(1448年)、相良氏の内戦であった雀ヶ森の戦いで、相良頼観は相良長続によって討ち取られた。相良正任は、この頼観の嫡子であった相良鬼太郎ではないかと推測されている。
故あって大内政弘に仕え、その側近、祐筆となった。政弘死後はその嫡男の義興を補佐、その治世初期に奉行人を務めた。息子の相良武任同様風流人で、有職故実に通じており、和歌や連歌にも秀でた文人でもあった。著書として日記『正任記』がある。
下関市住吉神社に保存されている国の重要文化財「住吉社法楽百首和歌短冊」(明応4年(1495年))に、三条西実隆筆の序文、相良正任と杉武明が連署した添え状が現存している。
脚注
[編集]- ^ 川添昭二「『正任記』に見える大内政弘の博多支配」(『日本歴史』600号)によれば、文明10年の大内政弘の九州遠征の際に49歳であったとされる。
参考資料
[編集]- 戦国大名家臣団事典 西国編