真宗大谷派三河別院
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真宗大谷派三河別院 | |
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所在地 | 愛知県岡崎市中町字野添25 |
位置 | 北緯34度57分30.0秒 東経137度10分34.0秒 / 北緯34.958333度 東経137.176111度座標: 北緯34度57分30.0秒 東経137度10分34.0秒 / 北緯34.958333度 東経137.176111度 |
宗旨 | 浄土真宗 |
宗派 | 真宗大谷派 |
寺格 | 別院 |
創建年 | 1890年(明治22年) |
開基 | 厳如 |
別称 |
三河別院 東本願寺三河別院 |
公式サイト | 真宗大谷派三河別院 |
法人番号 | 6180305000028 |
真宗大谷派三河別院(しんしゅうおおたにはみかわべついん)は愛知県岡崎市にある真宗大谷派の寺院(別院)。
歴史
[編集]先立つこと天明8年(1788年)に碧海郡暮戸(現・岡崎市暮戸町)に会所が置かれて、赤羽御坊とともに西三河地方の布教を担っていたが、明治維新を経て東本願寺21世・厳如は岡崎に「別院」を建立することを計画した[1]。1890年(明治22年)10月、岡崎の三河教校に「三河別院」が仮設置され、赤羽別院と暮戸説教場を移転統合するという通達が出されたが[1][2]、それぞれの地元の門徒に依る存続請願の結果これらは残された[3]。
現在の場所に仮堂が建てられ、翌年4月8日に丹後峯山別院の本尊を移しての入仏法要が執り行われた[2][3]。1896年(明治29年)に仮堂が破損したことから、1903年(明治36年)に本山の旧太子堂を移築することが22世・現如によって決められ[1]、本堂として1906年から建方が進められたものの翌年8月の暴風雨によって倒壊[1]。工事が完了し本堂が落成したのは1909年(明治42年)12月であった[1]。
その後、境内には庫裏や書院、鐘楼などが建てられ[1]、隣接して燕岡幼稚園(現・燕ヶ丘保育園)が置かれた[3]。太平洋戦争の際に本堂を含めた伽藍を焼失し[3]、現在の本堂は一旦の再建を経て1988年(昭和63年)に完成したもの[3]。東本願寺の岡崎教務所と隣接しており、この地域の布教の拠点となっている。
支院
[編集]愛知県豊田市に挙母支院がある。元々浄土宗の寺であったが大谷派に譲渡されて説教所となり、三河別院に寄進されて支院となっている[4]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 「真宗大辞典」第三巻、永田文昌堂、1936年2月20日初版・1952年11月1日改訂
- 「大日本寺院総覧」、名著刊行会、1966年12月10日