真養寺
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運千山真養寺 | |
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所在地 | 東京都荒川区南千住5丁目44-4 |
位置 | 北緯35度44分10.0秒 東経139度47分47.0秒 / 北緯35.736111度 東経139.796389度座標: 北緯35度44分10.0秒 東経139度47分47.0秒 / 北緯35.736111度 東経139.796389度 |
山号 |
運千山 廣布山(旧称) |
院号 | 自性院(旧称) |
宗旨 | 日蓮宗 |
創建年 |
寬永2年(1625年)(眞養寺) 萬治2年(1659年)(自性院) 元祿2年(1689年)(統合) |
開山 |
真行院日暁(眞養寺) 自性院日身(自性院) |
開基 | 吉田勘兵衞(自性院) |
正式名 |
運千山真養寺 廣布山眞養寺(旧称) 運千山自性院(旧称) |
法人番号 | 2011505000317 |
真養寺(しんようじ)は、東京都荒川区南千住5丁目44-4にある日蓮宗の寺院。山号は運千山。旧本山は身延久遠寺、通師法縁。
万治2年(1659年)、現在の地に運千山自性院として創建される[1][2]。この時、横浜の吉田新田開拓で知られる豪商・吉田勘兵衞(法名・運千院常清日凉[3])が寺地の寄付や鬼子母神堂・書院・庫裡の建立を行い、安藤伊賀守(重元[4]、安藤重長の弟)が本堂を建て、山本氏が稲荷堂・山門を建立した[5]。その後、江戸下谷[6]にあった廣布山真養寺と合併、運千山真養寺と号した[1][2]。
かつてここには日蓮宗の檀林が存在した。寛文11年(1671年)に建立された吉田勘兵衞(1611年 - 1686年)の先祖供養塔がある他、寺に隣接する墓地の北端には吉田勘兵衞の長男・吉太郎良春(秋性院良意日覚)を始祖とする吉田南家の墓が数基残る。
歴史
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- 寛永2年(1625年)、台東区(下谷上野町[1])に廣布山真養寺が創建[1][2]。開山は真行院日暁[1][5]。
- 万治2年(1659年)、現在地に運千山自性院が創建。横浜の吉田新田を開拓した吉田勘兵衛らの寄進による[2]。開山は自性院日身[1][5]。
- 元禄2年(1689年)、両寺を合併し運千山真養寺と改める。真養寺5世住持・速成院日圓が日身の後住となった[5]。
- 明治44年(1911年)、市区改正により境内が道路用地になったため墓地の移転、堂宇の改築を行う[7]。これにより境内が分断され、日光街道を挟んで墓地が位置することとなる。
周辺
[編集]- 西光寺 – 南千住5丁目
- 荒川区立第二瑞光小学校 – 南千住5丁目
交通アクセス
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 石野瑛『横浜旧吉田新田の研究』武相考古会〈武相叢書 第6編〉、1936年 。
- 斉藤司『横浜吉田新田と吉田勘兵衛 横浜開港前史』岩田書院、2017年。
- 内務省地理局「中村町 真養寺」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ19豊島郡ノ11、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763978/36。
- 日蓮宗寺院大鑑編集委員会 編『宗祖第七百遠忌記念出版 日蓮宗寺院大鑑』大本山池上本門寺、1981年。