矢島浦太郎
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矢島 浦太郎(やじま うらたろう、1860年3月4日(安政7年2月12日[1]) - 1917年(大正6年)10月17日)は日本の政治家、弁護士。衆議院議員(5期、立憲同志会)。
略歴
[編集]信濃国水内郡善光寺町字岩石町(現長野市)に生まれる。長野県師範学校を卒業し、東京法学校(現・法政大学)で法律学を修める。長野日日新聞記者を経て、弁護士の業務に従事し、長野町会議員、上水内郡会議員、長野市会議員、同参事会員、長野県議会議員を経て、1903年(明治36年)に第8回衆議院議員総選挙に出馬し、当選する。以後連続5期当選する。
また、湊鉄道・産業銀行・東京生命各取締役、茨城炭礦監査役などを歴任する。1917年(大正6年)に死去。
脚注
[編集]- ^ 『第拾壱回改選 代議士銘鑑』、国華新聞社、1912年。
参考文献
[編集]- 『日本人物情報大系 第30巻』(皓星社、2000)
- 『法学新報 第20巻』(中央大学法学会、1910)
- 『法政大学史資料集 第3巻』(法政大学百年史編纂委員会資料部会、1980)
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