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矢澤富太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

矢澤 富太郎(やざわ とみたろう、1931年7月 - 2010年12月[1])は、大蔵官僚大蔵省関税局長太田昭和監査法人会長等を務めた。2003年瑞宝中綬章受章。

人物

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東京府出身。一橋大学経済学部在学中の1952年に公認会計士二次試験に合格。一橋大学では赤松要ゼミナールに所属し、経済政策を学ぶ。その後岩田巌の誘いで大学院に残った後、1954年に大蔵省入省[2]

大蔵省では主税局担当審議官東京国税局長、関税局長を務めるなどして税務行政等にたずさわった後、1985年7月に退官し、岩田巌の指導教官であった太田哲三の開設した監査法人太田哲三事務所の会長に就任、同年10月、同事務所が昭和監査法人と合併してできた太田昭和監査法人会長に就任[3]。またそのほかに2007年に定年退職となるまで麗澤大学国際経済学部教授を務めた。

2007年の麗澤大学最終講義では、学生時代に師事した経済学者赤松要の雁行型経済発展論及び会計学者岩田巌の二元的利潤計算原理が、現在でも生きていることを紹介し、「自分の人生よりも長く残るものを残しなさい」とのメッセージを、学生に送った[4]

略歴

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著書

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論文等

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  • 「特別鼎談会 平成12年度税制改正をめぐって(平成12年度 改正税法詳解特集号)」(税経通信55(8)(通号775)、2000年6月)
  • 「対談 平成10年度国税関係の改正の概要について(平成10年度改正税法詳解特集号)」(税経通信.53(8)、1998年7月)
  • 「昭和53年度の税制改正について」(租税研究(通号343)、1978年5月)
  • 「文教予算(昭和51年度予算の焦点)」(ファイナンス.11(12)、1976年3月)
  • 「昭和33年度の分配国民所得と国民経済計算について」(財政経済弘報.(通号683)、1958年1月)
  • 「英国税法における減価償却と公平原則」(産業經理.16(2)、1956年2月)
  • 「イギリスの地方財政調整制度」(予算. 6(13)、1956年1月)
  • 「米国新歳入法における株式配当の取扱」(産業經理. 15(7)、1955年7月)
  • 「発生主義対権利確定主義--米国における企業会計と税務会計の交渉の歴史」(産業經理. 15(9)、1955年7月)
  • 「株式配当の所得性と米国税法の論理」(産業經理. 15(2)、1955年1月)

脚注

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  1. ^ 如水会報平成二十三年
  2. ^ 「VANGUARD」1983年1月号
  3. ^ 日本経済新聞1985年7月29日
  4. ^ 「駒澤大学News & Info」2007年1月18日
  5. ^ a b c 『大蔵省人名録:明治・大正・昭和』大蔵財務協会、1973年発行、180頁
  6. ^ 『職員録 昭和34年版 上巻』大蔵省印刷局、1959年1月発行、342頁

外部リンク

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先代
宮下鐵巳
国税庁東京国税局長
1982年 - 1984年
次代
水野勝
先代
垂水公正
大蔵省関税局長
1984年 - 1985年
次代
佐藤光夫
先代
武田昌輔
財団法人租税資料館理事長
第3代:2006年 - 2010年
次代
河﨑照行