矢筈城
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矢筈城 (岡山県) | |
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別名 | 高山城 |
城郭構造 | 山城 |
天守構造 | 草刈衡継、草刈景継、草刈重継 |
築城主 | 草刈衡継 |
築城年 | 天文元年(1532年) |
主な城主 | 不明 |
廃城年 | 天正12年(1584年) |
遺構 | 曲輪、土塁 |
指定文化財 | なし |
矢筈城概要
[編集]矢筈城(高山城)は、天文元年(1532年)から天文2年(1533年)にかけて、草刈衡継が矢筈山(標高756m)に築いた中世山城。 羽柴秀吉と毛利輝元が、本能寺の変の後和睦したことにより、美作国は宇喜多氏の領地になったことから、天正12年(1584年)、毛利輝元の要請により草刈重継が退去し、その後廃城となったと考えられている。 山頂に「本丸」を置き、その北方に続く尾根上に「土蔵郭」「馬場」を、西方に続く尾根上には「二の丸」「三の丸」「石垣段」「腰郭」「成興寺丸」等、数多くの曲輪を配している連郭式山城である。 土塁、石塁、堀切、狼煙場等の遺構がよく残っており、平成18年(2006年)3月に岡山県指定史跡の指定を受けている。 なお、矢筈山麓には「内構」と呼ばれる草苅氏の居館跡が残っている。