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矢筈城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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矢筈城
岡山県
別名 高山城
城郭構造 山城
天守構造 草刈衡継草刈景継草刈重継
築城主 草刈衡継
築城年 天文元年(1532年
主な城主 不明
廃城年 天正12年(1584年
遺構 曲輪、土塁
指定文化財 なし
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矢筈城概要

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矢筈城(高山城)は、天文元年(1532年)から天文2年(1533年)にかけて、草刈衡継が矢筈山(標高756m)に築いた中世山城。 羽柴秀吉毛利輝元が、本能寺の変の後和睦したことにより、美作国宇喜多氏の領地になったことから、天正12年(1584年)、毛利輝元の要請により草刈重継が退去し、その後廃城となったと考えられている。 山頂に「本丸」を置き、その北方に続く尾根上に「土蔵郭」「馬場」を、西方に続く尾根上には「二の丸」「三の丸」「石垣段」「腰郭」「成興寺丸」等、数多くの曲輪を配している連郭式山城である。 土塁、石塁、堀切、狼煙場等の遺構がよく残っており、平成18年(2006年)3月に岡山県指定史跡の指定を受けている。 なお、矢筈山麓には「内構」と呼ばれる草苅氏の居館跡が残っている。

関連項目

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