矢藤治山古墳
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矢藤治山古墳 / 矢藤治山墳丘墓 | |
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墳丘入り口 | |
所在地 | 岡山県岡山市北区西花尻・東花尻 |
位置 | 北緯34度39分34.56秒 東経133度51分35.87秒 / 北緯34.6596000度 東経133.8599639度座標: 北緯34度39分34.56秒 東経133度51分35.87秒 / 北緯34.6596000度 東経133.8599639度 |
形状 | 前方後円墳 |
規模 |
墳丘長35.5m 高さ3m(後円部) |
埋葬施設 |
後円部:竪穴式石室(内部に木棺) 前方部:1基 |
出土品 | 方格規矩鏡・勾玉・ガラス小玉・鉄斧・特殊器台 |
史跡 | なし |
地図 |
矢藤治山古墳(やとうじやまこふん)または矢藤治山墳丘墓(やとうじやまふんきゅうぼ)は、岡山県岡山市北区西花尻・東花尻にある古墳(または墳丘墓)。形状は前方後円墳。史跡指定はされていない。
概要
[編集]岡山県南部、独立丘陵「吉備の中山」の南面の尾根上に築造された古墳(または墳丘墓)である[1]。1990-1992年(平成2-4年)に発掘調査が実施されている[1]。
墳形は前方部がバチ形に開く前方後円形で[2]、前方部を南方向に向ける。墳丘外表では葺石のほか特殊器台(または特殊器台形埴輪)が検出されている[2]。埋葬施設は、後円部・前方部にそれぞれ1基が存在する[2]。後円部のものは竪穴式石室で、内部に箱形木棺が据えられる。石室内の調査では副葬品として方格規矩鏡・勾玉・ガラス小玉・鉄斧が検出されている[2]。
築造時期は、弥生時代終末期-古墳時代初頭頃と推定される[3]。最古型式の前方後円墳として、弥生時代から古墳時代への墓制の変遷を考察するうえで重要視される古墳になる[2]。
墳丘
[編集]墳丘の規模は次の通り[2]。
- 墳丘長:約35.5メートル
- 後円部
- 直径:約23.5メートル
- 高さ:約3メートル
- 前方部
- 長さ:約11.8メートル
埋葬施設
[編集]埋葬施設としては、後円部中央において竪穴式石室が構築されている[2]。石室規模は長さ2.7メートル・幅1.0メートル・高さ0.7メートル[2]。石室内部には北を頭位とする箱形木棺が据えられたと見られ、痕跡から木棺の大きさは長さ約2.5メートル・幅約0.85メートルと推測される[2][1]。
このほかの埋葬施設として、前方部においても木棺の痕跡が認められているが、詳細は明らかでない[1]。
出土品
[編集]- 棺内
- 方格規矩鏡 1
- 勾玉 1
- ガラス小玉 50
- 棺外
- 鉄斧 1
-
勾玉
鳥取県立博物館企画展示時に撮影。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 史跡説明板(岡山市吉備地区地域活性化推進実行委員会、1996年設置)
- 「西花尻村」『日本歴史地名大系 34 岡山県の地名』平凡社、1988年。ISBN 4582490344。
- 草原孝典「矢藤治山古墳」『続 日本古墳大辞典』東京堂出版、2002年。ISBN 4490105991。