矢部城
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矢部城 (神奈川県) | |
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別名 | 矢部氏館 |
城郭構造 | 平城 |
築城主 | 矢部義兼 |
築城年 | 鎌倉時代 |
遺構 | 土塁、板碑 |
指定文化財 | なし |
位置 | 北緯35度35分0秒 東経139度23分37秒 / 北緯35.58333度 東経139.39361度座標: 北緯35度35分0秒 東経139度23分37秒 / 北緯35.58333度 東経139.39361度 |
地図 |
矢部城(やべじょう) または矢部氏館 (やべしやかた)は、神奈川県相模原市中央区上矢部にあった日本の城。鎌倉時代に横山党の一員であった矢部義兼が築城したとされる。
歴史
[編集]矢部城(矢部氏館)は武蔵七党のひとつ、横山党の矢部義兼が築いた居館とされる。矢部義兼は1213年(建暦3年)の和田合戦で戦死してしまう。享年67といわれている。現在上矢部には板碑が残っている。本来の板碑は表に梵字や仏像が刻まれているものだが、この板碑には上部に阿弥陀如来の像があり、下には左右に蓮の花がある。中央には「乾元二年八月日」と書かれている。これは1303年(乾元2年)に遺族や家臣が義兼の追悼のために建てた物だといわれている。2001年(平成13年)4月1日付で相模原市指定有形文化財に指定されている[1]。現在、跡地には土塁が残っており、案内板が設置されている。
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 上矢部乾元二年の画像板碑 - 相模原市