矢野政雄
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矢野 政雄 | |
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生誕 |
1894年11月20日 日本 大分県 |
死没 | 1975年5月14日(80歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1916年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
矢野 政雄(やの まさお、1894年(明治27年)11月20日[1] - 1975年(昭和50年)5月14日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功四級
経歴
[編集]1894年(明治27年)に大分県で生まれた[1]。陸軍士官学校第28期、陸軍大学校第39期卒業[1]。1938年(昭和13年)7月15日に陸軍砲兵大佐進級と同時に野戦重砲兵第6連隊長に就任し[2]、日中戦争に出動[1]。1939年(昭和14年)に留守第1師団参謀長に転じ[2]、1941年(昭和16年)4月1日に陸軍野戦砲兵学校研究部主事を経て[2]、7月7日に第28砲兵団長に就任した[2]。
10月15日に陸軍少将に進級し[2]、1942年(昭和17年)に駐蒙軍参謀長に就任[1]、1943年(昭和18年)8月より兼情報部長[1]。1944年(昭和19年)10月に第3方面軍参謀長に転じ[1]、1945年(昭和20年)3月1日に陸軍中将に進級した[2]。3月23日に第57師団長に親補され[1]、本土決戦に備え福岡県南部に展開した[1]。同年10月3日には九州上陸地支局長に就任[3]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]。
栄典
[編集]- 外国勲章佩用允許
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。