コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

石下年安

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

石下 年安(いしげ としやす、1932年1月16日[1][2] - 2000年12月27日[3])は、日本射撃競技クレー射撃)選手、実業家馬主。オリンピックにクレー・ピジョン(トラップ)種目で出場2回(1964年東京1976年モントリオール)。日本選手権を3度獲得したほか、アジア競技大会や世界選手権にも出場した[4][注釈 1]1968年時点で有限会社大谷石商会専務取締役[2]

『教育月報』第17巻第176号(1965年)掲載写真

経歴

[編集]

栃木県出身。大東文化大学卒業[5]。高校・大学時代に打ち込んでいたのは野球で、プロ球団の入団テストも受け、最終選考まで進んだという[4]。家業の石材会社を継いでからも野球を続けていたが、大会で骨折し野球をやめた[4]。射撃競技との出会いはその後のことで、28歳の時に友人から勧められてクレー射撃を始めた[4]

1964年東京オリンピックにトラップ種目で出場(所属は大谷石材[5])。

1974年、世界選手権の国内予選会で、199点と当時の日本新記録を出した(同時に世界タイ記録でもあった)[4]

1976年モントリオールオリンピックにクレー・ピジョン(トラップ)種目で出場(所属は大谷石機商会[6])。

2000年12月27日肺炎のため獨協医科大学病院で死去[3]。68歳没。

馬主活動と主な所有馬

[編集]
石下の勝負服

日本中央競馬会(JRA)および地方競馬全国協会(NAR)に登録していた馬主としても知られた。勝負服の柄は赤、紫袖、白一文字。栃木県馬主協会会長を1991年時点で務めていた[7]

主な所有馬

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ ISSFのデータベースで "Toshiyasu ISHIGE" の成績として登録されているのは2度のオリンピックのみである。Olympediaによれば、"Toshiyasu ISHIGE" は 1974年アジア競技大会(テヘラン)のトラップ団体で金メダルを獲得とある。ISSFのデータベースのテヘラン・アジア大会の項では、トラップ団体についての登録がなく、トラップ個人の銅メダリストとして "Hirotaka ISHIGE" が登録されている。この"Hirotaka ISHIGE" は1967年のアジア選手権にも出場したとある。

出典

[編集]
  1. ^ a b Toshiyasu Ishige”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月1日閲覧。
  2. ^ a b 『日本信用紳士録』全国篇 1969年版
  3. ^ a b 「【訃報】石下年安氏」産経新聞 2000年12月29日付
  4. ^ a b c d e f 人物クローズアップ 年間十万発を撃った男 石下年安氏」『ザ Shooting』第21号、日本猟用資材工業会・銃砲スポーツ振興会、1988年5月、8頁、2021年5月2日閲覧 
  5. ^ a b 束原文郎 2013, p. 273.
  6. ^ 束原文郎 2013, p. 282.
  7. ^ 『「無資格」指摘の馬が1着、下位に賞金差額払う 宇都宮競馬で不手際』朝日新聞、1991年1月14日付
  8. ^ Results”. ISSF. 2021年5月1日閲覧。

参考文献

[編集]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]