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石井みどり (舞踏家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

石井 みどり(いしい みどり、本名:折田 ハナ、1913年3月17日[1] - 2008年3月6日[2]) は、日本舞踊家[3]

経歴

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1913年3月17日栃木県宇都宮市日野町にて質屋の長女として生まれる。出生名は五十嵐ハナ。ハナは女学校時代に地元で開かれた石井漠の舞踊公演に感銘を受け舞踊家を志した。

1929年、栃木県立宇都宮第一高等女学校(現栃木県立宇都宮女子高等学校)を卒業。この年9月、16歳で石井漠舞踊研究所に入門、現代舞踊の草分け・石井漠に師事[1]。 翌1930年、抜きんでた才能を認められ師の相手役として「石井みどり」の名を与えられ華々しくデビュー。1935年に独立、石井みどり舞踊研究所を開設し、公演活動をはじめる。同年、ヴァイオリニスト・作曲家の折田泉と結婚。夫の折田泉は、舞踊の伴奏バイオリニストとして演奏するだけでなく、舞踊公演の手配からプログラム作りまで全て引き受けた[3]

戦後も公演、創作と内外で精力的に活動。1956年から車4台による全国横断公演を延べ7年間おこなう。この間の公演回数は1万回を超える。1969年、舞踊芸術賞受賞。1977年に紫綬褒章、1984年には勲四等宝冠章を受章。娘の折田克子とともに舞踊研究所を主宰。現代舞踊協会、全日本舞踊連合の会長をつとめた[3]

折田泉との間にひとり娘で舞踊家の折田克子(おりた かつこ、1936 - 2018)がいた。 2008年3月6日肝臓がんで死去、94歳[2]

著書

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  • 『よく生きるとは、よく動くこと』草思社, 2004.6

脚注

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出典

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  1. ^ a b 石井みどり 「国際芸能人名鑑花形スタア1000人集1954-55年版」” (2016年10月2日). 2022年1月21日閲覧。[リンク切れ]
  2. ^ a b 舞踊家の石井みどりさん死去”. asahi.com. 朝日新聞 (2008年3月12日). 2022年1月21日閲覧。
  3. ^ a b c 石井みどり『よく生きるとは、よく動くこと』(草思社、2004年)著者紹介