石井茂知
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時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代前期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 明暦2年11月3日(1656年12月18日) |
別名 | 孫左衛門 |
戒名 | 常用日行 |
墓所 | 佐賀県佐賀市 常照院 |
主君 | 龍造寺政家→鍋島直茂→勝茂 |
氏族 | 肥前石井氏(藤原氏) |
父母 | 父:石井茂則、母:不詳 |
兄弟 | 忠安、茂知、相原四兵衛室 |
妻 | 石井忠増の娘 |
子 | 常知、石井十左衛門室 |
石井 茂知(いしい しげとも)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての肥前国の武将。佐賀藩主鍋島氏の重臣。
来歴
[編集]肥前国の戦国大名龍造寺氏、佐賀藩主鍋島氏の重臣石井右衛門佐茂則の次男として生まれる。佐嘉郡飯盛城主石井和泉守忠清の次男長門守忠家の曾孫にあたり、父茂則は、初代藩主鍋島勝茂の再従兄である。
慶長5年(1600年)、父茂則の死去に伴い、家督を継ぎ、初代藩主勝茂より偏諱を授けられ、「茂知」と名乗った。
父茂則と同じく鍋島直茂・勝茂父子に重用された。
享年は不明であるが、茂知は長寿であったとされ、明暦2年(1656年)に死去した。家督は、嫡男彦右衛門常知が相続した。
参考文献
[編集]- 『石井系譜』(佐賀県立図書館鍋島家文庫所蔵)