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石井茂知

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
石井 茂知
時代 安土桃山時代 - 江戸時代前期
生誕 不明
死没 明暦2年11月3日1656年12月18日
別名 孫左衛門
戒名 常用日行
墓所 佐賀県佐賀市 常照院
主君 龍造寺政家鍋島直茂勝茂
氏族 肥前石井氏藤原氏
父母 父:石井茂則、母:不詳
兄弟 忠安、茂知、相原四兵衛室
石井忠増の娘
常知、石井十左衛門室
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石井 茂知(いしい しげとも)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての肥前国武将佐賀藩鍋島氏の重臣。

来歴

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肥前国の戦国大名龍造寺氏佐賀藩鍋島氏の重臣石井右衛門佐茂則の次男として生まれる。佐嘉郡飯盛城石井和泉守忠清の次男長門守忠家の曾孫にあたり、父茂則は、初代藩主鍋島勝茂の再従兄である。

慶長5年(1600年)、父茂則の死去に伴い、家督を継ぎ、初代藩主勝茂より偏諱を授けられ、「茂知」と名乗った。

父茂則と同じく鍋島直茂・勝茂父子に重用された。

享年は不明であるが、茂知は長寿であったとされ、明暦2年(1656年)に死去した。家督は、嫡男彦右衛門常知が相続した。

参考文献

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