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石原常太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
石原 常太郎
生誕 1886年12月9日
日本の旗 日本 京都府
死没 (1971-01-14) 1971年1月14日(84歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1907年 - 1939年
最終階級 陸軍少将
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石原 常太郎(いしはら つねたろう、1886年明治19年)12月9日[1] - 1971年昭和46年)1月14日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功三級[2]

経歴

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1886年(明治19年)に京都府で生まれた[1]陸軍士官学校第19期、陸軍大学校第31期卒業[1]1932年(昭和7年)1月9日第1師団司令部附となり[2]慶応義塾大学に配属され[2]4月11日陸軍歩兵大佐に進級した[2]1933年(昭和8年)8月1日第12師団司令部附となり[2]10月1日戦車第3大隊長を経て[2]1935年(昭和10年)8月に名古屋連隊区司令官に就任した[2]

1936年(昭和11年)8月1日に陸軍少将に進級し[2]鎮海湾要塞司令官に着任[1]1938年(昭和13年)5月に歩兵第119旅団長(中支那派遣軍第116師団)に転じ[1]漢口攻略戦に出動した[1]1939年(昭和14年)3月9日留守第16師団司令部附となり[1]11月15日に待命[1]11月22日予備役に編入された[1]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[3]

栄典

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勲章等

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j 福川 2001, 71頁.
  2. ^ a b c d e f g h 外山 1981, 246頁.
  3. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」37頁。
  4. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

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  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026