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石坂敬一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

石坂 敬一(いしざか けいいち、1945年8月25日 - 2016年12月31日[1])は、日本実業家・音楽ディレクター。東芝EMI(現・EMIミュージック・ジャパン)、日本ポリグラムユニバーサルミュージックで数々の実績を残し、経営に尽力した。日本レコード協会顧問。2011年11月1日、ワーナーミュージック・ジャパン代表取締役会長兼CEOに就任[2]。2014年4月より取締役名誉会長を務めていた。親族に石坂泰三石坂禄朗石坂信雄石坂泰章石坂信也石坂公成石坂照子らがいる。

人物

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祖父母双方の従兄弟に石坂泰三(第二代経済団体連合会会長)がいる。

東芝EMI(現ユニバーサルミュージック合同会社)在籍時には、『リブ・ヤング!』(フジテレビ)等のテレビ番組に自らプロモーターとして出演するなど、名物ディレクターとして名を知られ、洋楽制作部時代にはザ・ビートルズピンク・フロイドを手がけた。邦楽制作本部時代には原田知世薬師丸ひろ子本田美奈子.らを育てる。

クリエイションで売り出し、日本のロックの海外進出の足掛かりを作った。

また、前・所属会社で実績が伸びなかったBOØWY矢沢永吉を移籍させ、復活させたことでも知られる。

1994年11月にポリグラムの日本法人である日本ポリグラムに転籍、同社取締役社長に就任。1998年にMCAレコードを保有するシーグラムがポリグラムを買収したことに伴い、ユニバーサル ミュージック グループが発足する。1999年に日本ポリグラムから社名変更したユニバーサルミュージック株式会社(現:ユニバーサルミュージック合同会社)の代表取締役社長、CEO、会長などを歴任した。在任中は邦楽制作の強化と経営改革を積極的に推進し、2008年には同社をCD生産額で業界シェア第1位に押し上げた。公職として社団法人日本レコード協会の会長を2007年7月から2011年5月にかけて務めた。レッド・ツェッペリンディープ・パープルのファンである。

経歴

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映画製作

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著書

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  • 『出世の流儀 - 究極のビジネスマンになる方法』日本文芸社、2011年8月25日。

出典

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  1. ^ a b "石坂敬一氏が死去 元ユニバーサルミュージック会長". 日刊スポーツ. 31 December 2016. 2016年12月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年12月31日閲覧
  2. ^ "ワーナー代表取締役会長兼CEOに石坂氏が就任". Musicman-net. 28 October 2011. 2016年12月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月23日閲覧
  3. ^ a b 第82回 石坂 敬一 氏 ユニバーサル ミュージック合同会社 最高経営責任者 兼 会長”. 2023年10月11日閲覧。
  4. ^ 米軍将校の家で過ごした中学時代”. 2023年10月11日閲覧。
  5. ^ 石坂敬一さんが死去 ビートルズなど手がけた音楽プロデューサー”. 2023年10月11日閲覧。
  6. ^ ワーナー、石坂敬一代表取締役会長兼CEOの退任を発表”. Musicman-NET (2014年2月25日). 2014年8月6日閲覧。
  7. ^ 平成27年秋の叙勲 旭日中綬章受章者” (PDF). 内閣府. p. 1. 2023年2月3日閲覧。

関連項目

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  • 石坂泰三(親族)
  • BMG JAPAN(旧ファンハウス) - 石坂と同じく東芝EMIのディレクターであった新田和長ザ・リガニーズ)が独立して創業したレコード会社であるが、石坂が東芝EMI取締役に就任時、新田が東芝EMIの保有株全てを取得した。

外部リンク

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先代
ラクラン・ラザフォード
ワーナーミュージック・ジャパン会長兼CEO
2011年 - 2014年
次代
小林和之