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石峠館

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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石峠館
岩手県
城郭構造 山城
天守構造 なし
築城主 豊間根氏(石峠氏)
築城年 不明
主な城主 豊間根家任[1]
廃城年 不明
遺構 曲輪、石垣、掘、石碑[1]
指定文化財 史跡等未指定[2]
位置 北緯39度32分43.8秒 東経141度55分29.9秒 / 北緯39.545500度 東経141.924972度 / 39.545500; 141.924972座標: 北緯39度32分43.8秒 東経141度55分29.9秒 / 北緯39.545500度 東経141.924972度 / 39.545500; 141.924972
地図
石峠館の位置(岩手県内)
石峠館
石峠館
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石峠館(いしとうげだて)は、岩手県下閉伊郡山田町石峠第2地割にあった日本の城

概要

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戦国時代武士・豊間根氏の同族である石峠氏(古くは「石至下」とも記した)の本拠地で、津軽石川(豊間根川)と荒川川の合流点北西の台地上に位置する[3]史料上での城主に豊間根家任の名が知られる[1]中世から近世にかけての居館跡が残っており、北側には山からの沢を利用した水掘の跡がみられる。

この地に土着した安倍氏永禄年間(155869年)に、峠に石垣を築いて襲撃に備えたと伝承されている(『豊間根文書』)。

なお、天正11年(1583年)の払川館主一戸行重の謀殺事件で、随行して討死したものの中に石峠八郎なる者がいる[4]

脚注

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  1. ^ a b c 岩手県教育委員会 1986 p.71
  2. ^ 山田町 2015「平成27年度山田町統計資料」山田町公式HP
  3. ^ 岩手県教育委員会 1986 巻末地図(No.1156)
  4. ^ 児玉・坪井 1980

参考資料

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  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 3 岩手県』角川書店、1985年3月8日。ISBN 4-040-01030-2 
  • 児玉幸多坪井清足日本城郭大系第2巻 青森・岩手・秋田』新人物往来社、1980年7月15日。 
  • 岩手県教育委員会『岩手県中世城館跡分布調査報告書』 82巻、1986年3月30日、71頁https://sitereports.nabunken.go.jp/63039 

関連項目

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