石川 (練習艦)
石川 | |
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基本情報 | |
建造所 | 石川島造船所[1] |
運用者 | 大日本帝国海軍 |
艦種 | 運送船 → 航海練習艦[1][2] |
母港 | 横浜(東海鎮守府)[3] → 呉[4] |
艦歴 | |
計画 | 1874年[5] |
起工 | 1874年8月1日[5] |
進水 | 1876年3月11日[5] |
竣工 | 1876年7月22日[6](または9月[7]) |
除籍 | 1893年3月9日[6] |
その後 | 1896年3月6日農商務省へ移管[5] |
改名 | 石川丸[8] → 石川[5] |
要目 | |
排水量 | 248英トン[9]、または253英トン[7] |
長さ | 33.150m[7] |
幅 | 6.560m[7] |
深さ | 3.120m[7] |
吃水 | 2.360m[7] |
帆装 |
2檣ブリッグ[6] 帆面積:6,131平方フィート (569.6 m2)[1] |
乗員 |
1876年9月定員:20名[10] 1890年10月定員:43名[11] |
搭載艇 | ギグ1隻、ジンギー1隻[7] |
その他 |
艦番号:7番(第7号[12])(1876年10月9日-)[13] 同:10番(第10号[14])(1877年3月15日-)[15] 信号符字:GQCN(1878年5月28日-)[16] 同:GQBM(1886年2月28日-)[17] |
石川(いしかわ)は日本海軍の航海練習艦[2]。艦名は建造所である石川島造船所がある地名より採られる[9]。造船所のあった場所が石川島(元々は島)と呼ばれていた[6]。
概要
[編集]石川島造船所建造の日本海軍軍艦としては「千代田形」、「沖鷹丸」に次いで3番目になる[6]。 艦型は木造の2檣ブリッグ型の帆船で機関は無い[6]。 砲は装備しなかったと言われる[6]。
1876年(明治9年)7月22日(または9月[7])に運送船として竣工、同年9月25日に練習船に定められた[5]。 1893年(明治26年)3月9日除籍[6]、 1896年(明治29年)3月6日に農商務省へ移管し、北海道庁水産物調査船になった[5]。
艦歴
[編集]建造
[編集]1874年(明治7年)8月1日石川島造船所で起工[5]。 1875年(明治8年)1月19日運送船(230トン帆船)を「石川丸」と命名[8][18]。 1876年(明治9年)3月11日進水、7月22日(または9月[7])竣工[5]。 同日、石川丸は東部指揮官所轄と定められた[19]。
1876年
[編集]1876年9月25日(または26日[20])東海鎮守府所轄の石川丸は練習船に指定された[5][10]。 10月9日、石川丸の番号は第7号(元第一丁卯の番号)に指定された[12]。
1877年
[編集]石川丸は1877年(明治10年)から浦賀に碇泊していた[21]。
1878年
[編集]- 修理
1878年(明治11年) 1月26日横須賀に回航、横須賀造船所で約3カ月修理を行った[21]。 5月3日浦賀に帰港した[21]。 5月4日、7等船に定められた[3][5][22][23]。
- 演習航海
実地演習のために5月17日浦賀を出港、兵庫港から佐賀関に向かった[21]。 途中は天候不良、逆風のために網代、三木、大島に寄港、6月6日兵庫着[21]。 6月9日兵庫発、逆潮や無風のために糸崎、御手洗に寄港、6月18日佐賀関に到着した[21]。 同地で大砲を積み入れ、翌6月19日に出港した[21]。 三原沖、多度津で碇泊し、7月9日兵庫に入港した[21]。 7月15日兵庫発、天候や強風、微風などで度々碇泊し、7月31日横須賀に入港した[21]。 8月4日浦賀に帰港した[21]。
11月16日浦賀発、翌17日に品川に到着した[21]。 以後東京湾で訓練のため11月20日出港、風が弱く金田湾で碇泊[21]。 21日館山湾に向かったが、強風のために浦賀港口に碇泊[21]。 25日本牧沖に回航、26日館山港に入港、28日浦賀に帰港した[21]。
1879年
[編集]- 練習航海
1879年(明治12年)
2月17日浦賀を出港し館山湾に回航、20日館山湾発、21日品海に到着した[24]。
2月25日品海出港、同日は本牧に碇泊し、翌26日浦賀港に帰港した[24]。
4月23日浦賀発、同日品海に到着、4月29日品海発、同日は本牧沖に碇泊し、30日浦賀港に帰港した[24]。
7月2日浦賀発、同日は横須賀に碇泊、翌3日品海に到着、8日品海発、同日浦賀港に帰港した[24]。
10月16日浦賀発、同日は本牧沖に碇泊、翌17日横濱港に入港、18日横浜発、同日から浦賀沖に碇泊し、21日浦賀港に帰港した[24]。
11月13日浦賀発、翌13日午前1時より羽田沖に碇泊、同日品海に到着、11月17日品海発、同日浦賀港に帰港した[24]。
11月17日、18日は錨地換えのために浦賀を一時出港した[24]。
12月11日浦賀発、13日品海に到着、16日品海発、同日横浜港に寄港、17日浦賀港に帰港した[24]。
1880年-1881年
[編集]1880年(明治13年) 1月10日浦賀発、同日夏島沖に碇泊、11日鶴見崎沖に碇泊、12日品川に到着、17日品川発、同日浦賀港に帰港した[24]。
- 繋泊練習船
1月20日東海鎮守府所轄の石川丸は繋泊練習船に指定された[5][25]。
3月5日浦賀発、同日館山湾に到着、7日同地発、8日浦賀港に帰港した[24]。
3月18日浦賀発、翌19日品川に到着、24日品川発、同日浦賀港に帰港した[24]。
6月24日浦賀発、同日網代港に入港、30日網代を出港、同日浦賀港に帰港した[24]。
- 東京湾内訓練
10月5日浦賀を出港、東京湾内で訓練を行い、本牧、品川に碇泊し10月11日浦賀に帰港した[26]。 石川丸は11月4日から11月16日まで横須賀造船所で修理を行った[27]。 11月12日浦賀を出港、東京湾内で訓練を行い、夏島、品川に碇泊し11月18日浦賀に帰港した[26]。 12月14日品川に回航、20日浦賀に戻った。 1881年(明治14年) 3月16日浦賀を出港、東京湾内で訓練を行い、富岡、品川に碇泊し3月22日浦賀に帰港した[26]。
1886年
[編集]1886年(明治19年)1月15日航海練習艦に指定され、7等艦に準じる扱いとなった[2][5]。
1888年
[編集]1888年(明治21年)9月14日、浦賀屯営附属艦になった[28]。 9月21日「石川」に改名[5]、 9月28日船長は艦長に改められた[29]
1889年
[編集]1889年(明治22年)4月18日、呉鎮守府の航海練習艦になった[4]。
1890年
[編集]1890年(明治23年)8月13日に日本海軍の新たな類別が制定され[30]、 8月23日「石川」は第3種(戦闘航海の役務に堪えざる軍艦[30])に定められた[31]。
除籍
[編集]1893年(明治26年)3月9日、第5種(倉庫船荷船雑船[30])となった[32](除籍[9][6])、呉海兵団附属に指定された[5]。
艦長
[編集]※『官報』に基づく。
- 船長
- 田尻唯一 大尉:1885年12月25日 - 1886年4月12日
- 永田賛知 大尉:1886年4月12日 - 5月10日
- 品川四方一 大尉:1886年5月10日 -
- 木村平蔵 大尉:1887年10月27日 - 11月24日
- 本田有智 大尉:1887年11月24日 - 1888年9月12日
- 艦長
- 丹治寛雄 大尉:1889年5月15日 - 1891年7月23日
- 松枝新一 大尉:1891年7月23日 - 1893年3月9日
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b c #日本近世造船史明治(1973)294頁。
- ^ a b c #海軍制度沿革8(1971)p.59『明治十九年一月十五日(丙一) 石川丸第一回漕丸ヲ航海練習艦ニ充テ艦位七等ニ準ズ』
- ^ a b #海軍制度沿革8(1971)p.59『明治十一年五月四日(丙六七) 明治十九年一月一號消滅 東海鎮守府所轄石川丸船位七等ニ被定候條此旨心得相達候事』
- ^ a b #達明治22年4月画像2『達第八十九號 新艦高雄ハ横須賀鎮守府所管ト定メラン舊横須賀屯営附属館山及舊浦賀屯営附属石川ハ呉鎮守府航海練習艦ト定メラル 明治二十二年四月十八日 海軍大臣伯爵西郷從道』
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p #日本海軍史第7巻p.465
- ^ a b c d e f g h i #銘銘伝2014pp.229-230
- ^ a b c d e f g h i #M29公文備考巻6/石川譲渡他売却下付(1)画像5、第五種船石川要領書
- ^ a b #海軍制度沿革8(1971)p.390『明治八年一月十九日(記三套一〇) 今般新製候二百三十噸積帆前運送船船號左之通相定候事 石川丸』
- ^ a b c #日本海軍艦船名考p.40
- ^ a b #M9.7-M10.6海軍省報告書/沿革画像4-7、明治9年9月
- ^ #海軍制度沿革10-1(1972)pp.190-191、明治23年10月18日(勅令235)軍艦団隊定員
- ^ a b #M9布達/10月画像9、明治9年10月9日丙第30号。『〔丙第三十號〕十月九日 石川丸番號之儀海軍信號書第二區艦名之部第一丁卯艦ノ處位第七號ト相定候條此旨布達候事』
- ^ #M9.7-M10.6海軍省報告書/沿革画像7-11、明治9年10月
- ^ #M10布達/3月画像9、明治10年3月15日丙第45号
- ^ #M9.7-M10.6海軍省報告書/沿革画像24-26、明治10年3月
- ^ #M11公文類纂前編9/石川丸外5艘信号符字附点の件他画像7
- ^ #公文類聚10編33巻 画像1『二月十八日 逓信省海軍艦船及西洋形商船ニ信号符字ヲ點付ス 逓信省達 第八号本年一月中海軍艦船及ヒ西洋形商船左ノ通信号符字ヲ點付ス十九年二月十八日 海軍艦船ノ部 信号符字 艦名 砲數 GCEC 龍驤Ru-jo 六 GQBF 筑波Tsuku-ba 八 GQBJ 春日Kasuga 五 GQBL 鳳翔 Hosyo 四 GQBN 富士山 Fujiyama 十二 GQBR 孟春Mo-shun 四 信號符字 艦名 砲數 GQBU 東Aduma 三 GQBH 日進Nisshin 七 GQBK 雷電Raiden 四 GQBM 石川Ishi-kawa 二 GQBP 天城Ama-ki 六 GQBS 清輝Sei-ki 六』
- ^ #M1-M9海軍省報告書画像61、明治8年1月。
- ^ #M9.7-M10.6海軍省報告書/沿革画像1-3、明治9年7月
- ^ #M9布達/9月(3)画像10-11、明治9年9月26日丙第19号
- ^ a b c d e f g h i j k l m n #M11.7-M12.6海軍省報告書画像45-46、石川丸航泊表
- ^ #M10.7-M11.6海軍省報告書画像31-34、明治11年5月沿革
- ^ #M11布達/5月画像3、明治11年5月4日丙第67号
- ^ a b c d e f g h i j k l #M12.7-M13.6海軍省報告書画像41-43(pp.73-76)、航泊表石川丸
- ^ #M12.7-M13.6海軍省報告書画像16-17、艦船所轄並在任附改称及等級
- ^ a b c #M13.7-M14.6海軍省報告書画像34-35、艦船航泊表、石川丸
- ^ #M13.7-M14.6海軍省報告書画像19-20、海軍艦船修復
- ^ #達明治21年9月画像2『達第八十五號 第一回漕丸ヲ横須賀屯営石川丸ヲ浦賀屯営附属艦トス 明治二十一年九月十四日 海軍大臣伯爵西郷從道』
- ^ #海軍制度沿革10-1(1972)p.177、明治21年9月28日(達100)艦船定員表中艦ノ字、丸ノ字ヲ削除シ館山石川ノ船長ヲ艦長ト改ムルノ件
- ^ a b c #海軍制度沿革8(1971)pp.52-53、明治23年8月13日(達291)、海軍艦船籍條例
- ^ #海軍制度沿革8(1971)p.59、明治23年8月23日(達304)
- ^ #海軍制度沿革8(1971)p.59『明治二十六年三月九日(達一四) 呉鎮守府所管練習艦石川ヲ第五種ニ編入セラル』
参考文献
[編集]- アジア歴史資料センター(公式)
- 国立公文書館
- 『記録材料・海軍省報告書第一』。Ref.A07062089000。 明治元年から明治9年6月。
- 『記録材料・海軍省報告書/第一 沿革』。Ref.A07062089300。 明治9年7月から明治10年6月。
- 『記録材料・海軍省報告書』。Ref.A07062091300。 明治10年7月から明治11年6月。
- 『記録材料・海軍省報告書』。Ref.A07062091500。 明治11年7月から明治12年6月。
- 『記録材料・海軍省報告書』。Ref.A07062091700。 明治12年7月から明治13年6月。
- 『記録材料・海軍省報告書』。Ref.A07062091900。 明治13年7月から明治14年6月。
- 『公文類聚・第十編・明治十九年・第三十三巻・運輸三・船舶車輌・津港・河渠・橋道:逓信省海軍艦船及西洋形商船ニ信号符字ヲ点付ス・其二』。Ref.A15111235500。
- 防衛省防衛研究所
- 「往入1546 石川丸外5艘信号符字附点の件軍務局上申他3件」『公文類纂 明治11年 前編 巻19 本省公文 艦船部4止』、Ref.C09112815000。
- 『明治29年 公文備考 演習艦船4止巻6/旧石川農商務省へ譲渡1件并旧富士山旧肇敏旧浅間其他売却及下付等の件(1)』。Ref.C06091058700。
- 『明治9年 海軍省布達全書/9月(3)』。Ref.C12070001400。
- 『明治9年 海軍省布達全書/10月』。Ref.C12070001600。
- 『明治10年 海軍省布達全書/3月』。Ref.C12070002400。
- 『明治11年 海軍省布達全書/5月』。Ref.C12070004100。
- 『明治21年達完/9月』。Ref.C12070024500。
- 『明治22年達完/4月』。Ref.C12070025500。
- 浅井将秀/編『日本海軍艦船名考』東京水交社、1928年12月。
- 海軍省/編『海軍制度沿革 巻八』 明治百年史叢書 第180巻、原書房、1971年10月(原著1941年)。
- 海軍省/編『海軍制度沿革 巻十の1』 明治百年史叢書 第182巻、原書房、1972年4月(原著1940年)。
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』 第7巻、海軍歴史保存会、1995年11月。
- 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝 全八六〇余隻の栄光と悲劇』光人社、1993年。ISBN 4-7698-0386-9。
- 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝<普及版> 全八六〇余隻の栄光と悲劇』潮書房光人社、2014年4月(原著1993年)。ISBN 978-4-7698-1565-5。
- 造船協会『日本近世造船史 明治時代』 明治百年史叢書、原書房、1973年(原著1911年)。
- 『官報』