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石川久式

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
石川久式
時代 戦国時代
生誕 弘治3年(1557年[1]
死没 天正3年(1575年[1]
別名 通称:源左衛門[1]
主君 毛利元就三村元親
父母 父:石川久智[1]
三村家親[1]
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石川 久式(いしかわ ひさのり)は、戦国時代武将

経歴・人物

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永禄10年(1567年)父・久智が明善寺合戦にて負った傷により病没すると、家督を継いだ[1]元亀2年(1571年毛利元就に従い九州に参陣中に尼子勝久勢に幸山城を奪われるが、これを奪回する[1]天正2年(1574年三村元親毛利輝元勢から離反し、織田信長勢に属すと、これに従った[1]。翌年天正3年(1575年)備中松山城の戦いにて三村元親の副将格として入城するものの敗れ、自刃した[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i 阿部猛・西村圭子編『戦国人名事典』新人物往来社(1990)