石川名人
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時代 | 奈良時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 天平宝字8年3月9日(764年4月14日) |
官位 |
従四位下、武蔵守 勲十二等 |
主君 | 聖武天皇→孝謙天皇→淳仁天皇 |
氏族 | 蘇我氏流石川氏 |
石川 名人(いしかわ の なひと)は、奈良時代の貴族。官位は従四位下・武蔵守。
経歴
[編集]中務大丞を経て、天平17年(745年)従五位下に叙爵。聖武朝末に内蔵頭・少納言を歴任し、天平20年(748年)従五位上に叙せられる。天平勝宝元年(749年)孝謙天皇即位ののち上総守に任ぜられ地方官に転じ、天平勝宝6年(754年)民部大輔として京官に復す。
天平勝宝9歳(757年)藤原仲麻呂の紫微内相就任と同時に正五位下、天平宝字3年(759年)には仲麻呂子息の藤原真光・久須麻呂と同時に従四位下に叙せられるなど、仲麻呂政権の一翼を担って順調に昇進する。のち、造宮卿・武蔵守を歴任した。
天平宝字8年(764年)3月9日卒去。最終官位は武蔵守従四位下。
官歴
[編集]『続日本紀』による。
- 時期不詳:正六位上。勲十二等
- 天平15年(743年) 4月22日:見班田使判官兼中務大丞[1]
- 天平17年(745年) 正月7日:従五位下
- 天平18年(746年) 6月21日:内蔵頭
- 天平19年(747年) 5月1日:少納言
- 天平20年(748年) 2月19日:従五位上
- 天平勝宝元年(749年) 8月10日:上総守
- 天平勝宝6年(754年) 4月5日:民部大輔
- 天平勝宝9歳(757年) 5月20日:正五位下
- 天平宝字3年(759年) 6月16日:従四位下
- 天平宝字4年(760年) 正月16日:造宮卿
- 時期不詳:武蔵守
- 天平宝字8年(764年) 3月9日:卒去(武蔵守従四位下)
脚注
[編集]- ^ 『大日本古文書(編年文書)』2巻336頁