石川明 (陸軍軍人)
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石川 明(いしかわ とおる)は、大日本帝国陸軍軍人。1945年8月時点での階級は大佐であり、歩兵第216連隊長だった[1]。
陸軍士官学校卒業後、近衛部隊に配属され、その後に大阪に配置替えとなった。平時の訓練で乗馬中にすぐそばで迫撃砲を発射するというミスがあり、驚いた馬が倒れその下敷きとなり背中を痛め療養のために一年ほど台湾(台北)で勤務のかたわら温泉療養した。
太平洋戦争中、常寧城の攻撃に参加した際の様子が残っている[2]。
また、朝雲新聞社の戦史にも掲載されている[要文献特定詳細情報]が、別の大きな部隊がゲリラにより峡谷の合間に挟み撃ちにされ全滅の危機に瀕したところに出くわした二十余名ほどの騎馬部隊を指示して広く高速に動き回ることで多人数の援軍が来たと思わせることで峡谷の一方をふさいだゲリラを撤退に追い込み、これにより200名弱の部隊の全滅が免れた。この功績に対し軍より畳一畳ほどの和紙に金箔をはった感謝状が贈られた。
戦後は、広島に戻り、恩給制度の維持とインフレ対応の増額のために厚生省に陳情をすることをかつての部隊より依頼されてなくなる前年くらいまで頻繁に予算編成期に上京していた。1969年没。
出典
[編集]- ^ 「上奏 歩兵第216聯隊長 石川明」 アジア歴史資料センター Ref.C14020179400
- ^ “常寧城の攻撃” (PDF). 池田高校23期生 同窓会. 2017年11月19日閲覧。