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石川楯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
石川楯
時代 古墳時代
生誕 不詳
死没 不詳
主君 雄略天皇
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石川楯(いしかわの たて、生没年不詳)は、雄略天皇臣下[1]

人物

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雄略天皇二年、天皇は百済から貢進された百済王族の娘・池津媛宮中に招き入れようとしたが、池津媛は徹底的に雄略天皇を嫌い抜き、かねてから好意を寄せていた石川楯と駆け落ちした。これを知った雄略天皇は、追手を差し向けると二人を捕縛し、大伴室屋に命じて、二人の手足を木に縛り、桟敷の上に置かせ、火を付けて焼き殺して処刑した[2][3]

脚注

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  1. ^ 高森明勅 編『歴代天皇事典』PHP研究所PHP文庫〉、2006年10月3日、29頁。ISBN 456966704X 
  2. ^ 末國善己『夜の日本史』辰巳出版、2013年8月30日、17頁。ISBN 4777811425 
  3. ^ 日本人名大辞典+Plus石川楯』 - コトバンク