石川総般
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時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 | 宝暦7年(1757年) |
死没 | 享和2年11月17日(1802年12月11日) |
改名 | 善之助 |
戒名 | 統正院殿総般日理大居士 |
墓所 | 東京都北区田端の大久寺 |
官位 | 従五位下、中務少輔 |
主君 | 徳川家斉 |
藩 | 常陸下館藩主 |
氏族 | 石川氏 |
父母 |
父:石川総候、母:某氏 養父:石川総弾 |
兄弟 |
総候の子:総孝、金八郎、総賢 総弾、清之助、総般 娘(土方雄年室)、阿きく(水野忠実室)、娘、娘(石川総彬室) |
子 |
娘(水野元貞室)、総承、総安 娘(石川総功室)、娘(石川総集室) 娘(石川成伊室) 養子:総親 養女:娘(総弾の娘、総親室) |
石川 総般(いしかわ ふさつら)は、常陸下館藩の第5代藩主。伊勢亀山藩石川家分家7代。
生涯
[編集]宝暦7年(1757年)、第3代藩主・石川総候の五男として誕生する。寛政7年7月(1795年8月)、兄で先代藩主である総弾の養嗣子となり、総弾の死去により同年9月5日(10月17日)に家督を継いだ。同月15日(10月27日)に将軍・徳川家斉に拝謁し、同年12月17日(1796年1月26日)に従五位下・中務少輔に叙任した。享和2年11月17日(1802年12月11日)、死去した。越後長岡藩主・牧野忠精の次男・総親が、先代総弾の娘で総般が養女とした娘の婿となり、家督を継いだ。
系譜
[編集]父母
子女
養子、養女