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石川重政

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
石川重政
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 永正7年(1510年
死没 慶長元年5月23日1596年6月18日
別名 重次()、又四郎(通称
戒名 常順
墓所 大善寺(神奈川県横浜市
主君 徳川家康
氏族 石川氏
父母 石川重康
重次、坂部与三右衛門室
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石川 重政(いしかわ しげまさ)は、戦国時代武将徳川家康の家臣。

生涯

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三河石川氏の傍流といい、父は松平清康広忠に仕えた。幼少期に殺人を犯して流浪したが、後に徳川家康に再度召し抱えられる。家康の三河平定戦で転戦し、永禄6年(1563年三河一向一揆の蜂起では改宗して家康に味方し、翌年の針崎一揆との戦いで奮戦して重傷を負った。永禄11年(1568年井伊谷城攻撃の際には先鋒として活躍。以後も遠江平定戦に転戦した。

参考文献

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