石川重政
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時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
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生誕 | 永正7年(1510年) |
死没 | 慶長元年5月23日(1596年6月18日) |
別名 | 重次(諱)、又四郎(通称) |
戒名 | 常順 |
墓所 | 大善寺(神奈川県横浜市) |
主君 | 徳川家康 |
氏族 | 石川氏 |
父母 | 石川重康 |
子 | 重次、坂部与三右衛門室 |
石川 重政(いしかわ しげまさ)は、戦国時代の武将。徳川家康の家臣。
生涯
[編集]三河石川氏の傍流といい、父は松平清康・広忠に仕えた。幼少期に殺人を犯して流浪したが、後に徳川家康に再度召し抱えられる。家康の三河平定戦で転戦し、永禄6年(1563年)三河一向一揆の蜂起では改宗して家康に味方し、翌年の針崎一揆との戦いで奮戦して重傷を負った。永禄11年(1568年)井伊谷城攻撃の際には先鋒として活躍。以後も遠江平定戦に転戦した。
参考文献
[編集]- 「寛政重修諸家譜」巻第121