石本五雄
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石本 五雄 | |
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生誕 |
1897年6月18日 日本 兵庫県 |
死没 |
1940年9月29日(43歳没) オランダ領東インド バンドン |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1918 - 1940 |
最終階級 | 陸軍少将(死後昇進) |
戦闘 | 日中戦争 |
墓所 | 青山霊園の警視庁墓地 |
石本 五雄(いしもと いつお、1897年〈明治30年〉6月18日[1][2] - 1940年〈昭和15年〉9月29日[1][注 1])は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
[編集]本籍兵庫県[1][2]。陸軍将校・石本新六の五男として生れる[1][3]。陸軍中央幼年学校予科、同校本科を経て、1918年(大正7年)5月、陸軍士官学校(30期)を卒業[1][2][4]。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第57連隊付となる[1][4]。1926年(大正15年)12月、陸軍大学校(38期)を卒業した[1][2][3]。
陸士教官、第8師団参謀、留守第8師団参謀、東京警備参謀、陸軍省整備局課員などを歴任[1]。1934年(昭和9年)6月、資源局に事務官として出向し、同企画部第2課長、第1課長を務めた[1]。
1937年(昭和12年)11月、北支那方面軍司令部付となり、特務部員(第3課長)を勤める[1]。1939年(昭和14年)1月、陸軍省整備局資源課長に就任し、同年8月、陸軍大佐に昇進[1][2][3]。1940年(昭和15年)8月、オランダとの石油取引交渉のため蘭印に派遣された小林使節団(日蘭会商)に随行するが、翌月、出張先のバンドンで死去[1][2][3]。陸軍少将に進級した[1][2][3]。
親族
[編集]- 妻 石本勝子 町田経宇(陸軍大将)の娘[1]
- 兄 石本恵吉(実業家)・石本憲治(南満州鉄道理事)・石本寅三(陸軍中将)・石本巳四雄(東京帝国大学教授・理学博士)[1]
- 義兄弟 瀧川政次郎(法学博士)[1]
- 従兄弟 安達十六(陸軍少将)・安達十九(陸軍中将)・安達二十三(陸軍中将)
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『日本陸軍将官辞典』71頁では9月30日。