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石本暁曠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
石本いしもと 暁曠ぎょうこう
生誕 石本 恒介
1888年
島根県能義郡広瀬町(現・安来市
死没 1935年8月23日
国籍 日本の旗 日本
教育 京都市立美術工芸学校彫刻科
出身校 松江中学校
著名な実績 彫刻
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昭和7年、作品納品時の石本暁曠

石本 暁曠(いしもと ぎょうこう、1888年 - 1935年8月23日[1])は、日本彫刻家。別号は暁海。本名は石本 恒介。

略歴

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島根県能義郡広瀬町(現・安来市)出身。1905年、京都市立美術工芸学校卒。米原雲海に師事。第6回文展に出展し入選。1931年、帝展無鑑査。1933年、京都市立美術工芸学校の教員となる。1935年、死去。享年48。

作品

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  • 中江藤樹像(1924年(大正13)7月)
  • 六臂如意輪観音像(昭和8年5月、書寫山圓教寺摩尼殿本尊。檜一木)
  • 宮部圓成像(昭和9年(1934)の第15回帝展出展)[2]
  • 雨あがり(制作年不明)

脚注

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  1. ^ 石本暁曠 - 東京文化財研究所
  2. ^ 『国立国会図書館デジタルコレクション「帝展集 第15回」』画報社、1934年、13頁。