石橋助左衛門
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石橋 助左衛門(いしばし すけざえもん、宝暦7年(1757年) - 天保8年12月17日(1838年1月12日))は、江戸時代後期のオランダ通詞[1]。幼名は助十郎。通詞石橋家7代目。外務省官吏石橋政方は曾孫。石橋家は代々の通詞で元祖以来助左衛門を称する者が数名あった。
年譜
[編集]- 1769年(明和6年):稽古通詞
- 1791年(寛政3年):大通詞
- 1804年(文化元年):ニコライ・レザノフとの折衝に当たる
- 1808年(文化5年):フェートン号事件の対応に当たる
- 1821年(文政4年):諸立会大通詞
- 1826年(文政9年):致仕
- 1837年(天保8年):没。墓所は長崎の大音寺
脚注
[編集]- ^ 上田正昭ほか監修 著、三省堂編修所 編『コンサイス日本人名事典 第5版』三省堂、2009年、103頁。