石橋喜祐
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石橋 喜祐(いしばし きゆう、1857年4月27日(安政4年4月4日)[1] - 没年不明)は、日本の篤農家[2]、実業家[3]。石材販売合資会社代表社員[4]。早良銀行[1][5]、姪浜魚市、姪浜石材各取締役[3][6]。族籍は福岡県平民[1]。
人物
[編集]福岡県平民・石橋太七の二男[1]。1874年5月、分家して一家を創立した[1]。銀行、会社役員である[1][6]。住所は福岡県早良郡姪浜町[1](現・福岡市西区姪浜)。
家族・親族
[編集]- 石橋家
- 妻・モト(1865年 - ?、福岡、石橋傳四郞の長女)[1]
- 男・太十郞(1887年 - ?)[1]
- 男・豐治郞(1889年 - ?)[1]
- 三男・宗祐(1899年 - ?)[1]
- 五男・恭祐(1907年 - ?)[1]
- 女・シマ(1897年 - ?)[1]
- 二女[1]
- 三女(1894年 - ?、福岡、酒造業・奥村大介の妻)[7]
- 五女[1]
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『人事興信録 第4版』い138頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年6月20日閲覧。
- ^ 『大日本篤農家名鑑』75頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年6月20日閲覧。
- ^ a b 『九州紳士録 第1輯』い8頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年6月21日閲覧。
- ^ 『官報 1903年10月05日』官報 第6079号 100頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年6月23日閲覧。
- ^ 『日本全国諸会社役員録 明治40年』福岡県 下編904頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年1月2日閲覧。
- ^ a b 『日本全国諸会社役員録 明治44年』福岡県 下編1024 - 1025頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年1月2日閲覧。
- ^ 『人事興信録 第7版』を198頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年6月21日閲覧。