二日会
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(石橋派から転送)
二日会(ふつかかい)は、自由民主党の結党初期に存在した派閥。通称は石橋派→石田派。
概要
[編集]自民党創成期に石橋湛山を中心に石田博英・大久保留次郎・島村一郎・宇都宮徳馬ら約20名で結成した火曜会(石橋派)が起源である。石橋と同様に党内のハト派の議員が多かったが、「来る者は拒まず、去る者は追わず」という石橋の性格を反映し[1]、辻政信のような旧日本軍の参謀将校から政界に転じた者も加わっていた[2]。1956年自民党総裁選にて、石橋当選の原動力となったが、石橋が総裁就任後、わずか2ヶ月で病気辞任してしまうと、総裁候補が不在で人数的にも資金的にも劣った火曜会は急速に弱体化し[3]、間もなく解散した。
その後、無派閥となっていた石田、宇都宮ら旧石橋派のメンバーは1969年の総選挙の際に、石田派(二日会)を旗揚げするが、大派閥の前には新人獲得も思わしく進められず、1971年に石田、宇都宮、地崎宇三郎、山口敏夫の4人は同じハト派の派閥である政策懇談会(三木派)に合流した。
脚注
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 中島政希「石橋派の変遷 : 石橋湛山をめぐる政治家たち」『自由思想』第153号、石橋湛山記念財団、2019年6月、59-71頁、ISSN 03850846、CRID 1522543655293986048。
- 鈴村裕輔「自民党石橋派の盛衰 : 石橋湛山と辻政信の関係を踏まえつつ」『国際日本学』第19巻、法政大学国際日本学研究所、2022年2月、61-71頁、doi:10.15002/00025640、hdl:10114/00025640、ISSN 1883-8596、CRID 1390012081167194880。