島村一郎
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島村 一郎(しまむら いちろう、1894年(明治27年)9月7日[1] - 1977年(昭和52年)2月1日[1][2])は日本の政治家。衆議院議員。正三位勲一等。
島村 一郎 しまむら いちろう | |
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生年月日 | 1894年9月7日 |
出生地 | 東京府東葛飾郡小松川町(現・東京都江戸川区平井) |
没年月日 | 1977年2月1日(82歳没) |
出身校 | 中央大学中退 |
所属政党 |
(日本自由党→) (民主自由党→) (自由党→) (分党派自由党→) (日本民主党→) 自由民主党 |
称号 | 正三位勲一等 |
子女 | 六男・島村宜伸(元農林水産大臣、元衆議院議員) |
選挙区 |
(東京都第1区→) (旧東京6区→) 旧東京10区 |
当選回数 | 12回 |
在任期間 | 1946年5月11日 - 1976年12月9日 |
経歴
[編集]東京府南葛飾郡小松川町平井(現在の東京都江戸川区平井)に生まれる。
中央大学中退[1]。小松川町会議員、小松川町長、東京府議、江戸川区会議長、東京市議、同都議などを経て大蔵大臣秘書官となった[1][2]。
昭和21年(1946年)東京1区(のち東京6区→10区)から立候補し、次点となるが、鳩山一郎の公職追放による繰上当選となり、衆院議員となる。以来連続当選12回[1][2]。
1955年(昭和30年)第2次鳩山内閣の通商産業政務次官[1][2]。衆院大蔵、商工、懲罰、東京オリンピック大会準備促進特別委員長を歴任[1][2]。また自由党、日本民主党各政調会副会長、自民党総務、同東京湾開発特別委員長を務めた[1][2]。
列国議会同盟会議に議員団代表で4回出席した[1]。
エピソード
[編集]- 引退時、「政治は世襲ではない」と表明して子息宜伸の出馬に反対したが、後援会関係者の説得により宜伸の立候補をしぶしぶ認めた。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『政治家人名事典』編集・発行 - 日外アソシエーツ、1990年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
議会 | ||
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先代 村上勇 |
衆議院懲罰委員長 1974年 - 1976年 |
次代 宇田国栄 |
先代 天野公義 |
衆議院商工委員長 1967年 - 1968年 |
次代 小峰柳多 |
先代 新設 |
衆議院大蔵委員長 1948年 |
次代 川野芳満 |