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渡辺栄一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
渡辺 栄一
わたなべ えいいち
生年月日 (1918-10-11) 1918年10月11日
出生地 日本の旗 岐阜県美濃加茂市
没年月日 (1997-06-16) 1997年6月16日(78歳没)
出身校 名古屋高等商業学校卒業
(現・名古屋大学
前職 酒造業
所属政党 自由民主党
称号 勲一等旭日大綬章
親族 渡辺直由(長男)

日本の旗 第43代 建設大臣
内閣 第2次大平内閣
在任期間 1979年11月9日 - 1980年7月17日

選挙区 旧岐阜2区
当選回数 10回
在任期間 1963年11月22日 - 1993年6月18日

当選回数 3回
在任期間 1954年4月25日 - 1963年10月28日

岐阜県太田町長
当選回数 2回
在任期間 1947年 - 1954年
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渡辺 栄一(本姓:渡邉榮一[1]、わたなべ えいいち、1918年大正7年)10月11日[2] - 1997年平成9年)6月16日[2])は、日本政治家、酒造家。自由民主党衆議院議員(10期)。

岐阜県美濃加茂市出身[2]1990年(平成2年)勲一等旭日大綬章受章[2]

来歴・人物

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御代桜醸造社長・渡辺栄三郎の息子として生まれた[2]1938年(昭和13年)名古屋高等商業学校(現・名古屋大学)卒業[1][2][3]。卒業後は家業の酒造業・御代桜に従事[2]。徴兵され陸軍主計大尉に進み除隊した[1]

岐阜県太田町長を2期務め[1][2]1954年からは新たに誕生した美濃加茂市の初代市長を3期務めた[1][2]。市長在任中の1963年(昭和38年)第30回衆議院議員総選挙旧岐阜2区から自民党公認で出馬し初当選[4](当選同期に小渕恵三橋本龍太郎小宮山重四郎伊東正義田中六助渡辺美智雄佐藤孝行藤尾正行中川一郎三原朝雄鯨岡兵輔西岡武夫奥野誠亮など)。

以降、1990年(平成2年)第39回総選挙まで連続当選10回を重ねたが[1][2][5]1972年第33回総選挙では、和良村が村ぐるみで渡辺を支援した結果、村長、助役、村議会議長、村議らが選挙違反で逮捕され、村議会も自主解散に追い込まれるという事件が発生した[6]

国会議員時代には船田中に師事し、船田派のメンバーであった。船田中が亡くなった後には竹下登率いる経世会に所属した。

第2次佐藤内閣建設政務次官第3次佐藤内閣文部政務次官、衆議院建設委員長、同懲罰委員長、同決算委員長、自民党治水治山海岸対策特別委員長、同国対副委員長、同副幹事長、同総務、同経理局長、同全国組織総局長、同岐阜県連会長などを務め[1][2]1979年11月、第2次大平内閣建設大臣として初入閣した[1][2]1993年(平成5年)政界引退[2]

1997年6月16日、肺炎のため死去。享年78。

著作

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  • 『住宅と私』行政問題研究所、1982年。

親族

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』723頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m 『新訂 現代政治家人名事典』590頁。
  3. ^ コトバンク 渡辺栄一
  4. ^ 『国政選挙総覧:1947-2016』203頁。
  5. ^ 『国政選挙総覧:1947-2016』203-205頁。
  6. ^ 「村議会が自主解散」『朝日新聞』昭和48年(1973年)1月17日夕刊、3版、9面

参考文献

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  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』日外アソシエーツ、2005年。
  • 『国政選挙総覧:1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。

関連項目

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議会
先代
中村靖
日本の旗 衆議院決算委員長
1990年 - 1991年
次代
渡辺省一
先代
天野公義
日本の旗 衆議院懲罰委員長
1987年 - 1988年
次代
林大幹
先代
天野光晴
日本の旗 衆議院建設委員長
1976年
次代
北側義一
公職
先代
渡海元三郎
日本の旗 建設大臣
第43代:1979年 - 1980年
次代
斉藤滋与史
先代
発足
美濃加茂市長
初代:1954年 - 1963年
次代
岸東八郎