藤枝泉介
伝記の記載を年譜形式のみとすることは推奨されていません。 |
藤枝 泉介 ふじえだ せんすけ | |
---|---|
防衛庁長官着任式にて(1961年7月19日) | |
生年月日 | 1907年12月3日 |
出生地 | 日本 栃木県宇都宮市 |
没年月日 | 1971年6月6日(63歳没) |
出身校 | 東京帝国大学法学部英法科卒業 |
所属政党 |
(民主自由党→) (自由党→) (日本民主党→) 自由民主党(岸派→椎名派) |
称号 |
正三位 勲一等旭日大綬章 |
親族 |
長兄・船田中(大政翼賛会政策局内政部長、元衆議院議長) 次兄・船田享二(京城帝国大学教授、元衆議院議員) 甥・船田譲(元参議院議員、元栃木県知事) 大甥・船田元(衆議院議員) 義大姪・船田恵(元参議院議員) |
第48代 衆議院副議長 | |
在任期間 | 1969年7月16日 - 1969年12月2日 |
衆議院議長 | 松田竹千代 |
内閣 |
第1次佐藤第3次改造内閣 第2次佐藤内閣 |
在任期間 | 1966年12月3日 - 1967年11月25日 |
第35代 運輸大臣 | |
内閣 | 第1次佐藤第2次改造内閣 |
在任期間 | 1966年10月14日 - 1966年12月3日 |
第14代 防衛庁長官 | |
内閣 | 第2次池田第1次改造内閣 |
在任期間 | 1961年7月18日 - 1962年7月18日 |
第4-5代 総理府総務長官 | |
内閣 |
第1次池田内閣 第2次池田内閣 |
在任期間 | 1960年7月19日 - 1961年7月18日 |
その他の職歴 | |
衆議院議員 旧群馬1区 当選回数 8回 (1949年1月23日 - 1952年8月28日 1953年4月19日 - 1971年6月6日) |
藤枝 泉介(ふじえだ せんすけ、1907年〈明治40年〉12月3日 - 1971年〈昭和46年〉6月6日)は、日本の政治家、内務官僚。
衆議院副議長(第48代)、自治大臣(第13・14代)、国家公安委員会委員長(第22・23代)、運輸大臣(第34代)、防衛庁長官(第14代)、総理府総務長官(第4・5代)、衆議院議員(8期)などを歴任した[1]。
経歴
[編集]「船田三兄弟」の末弟。長兄は第51・56代衆議院議長の船田中、次兄はローマ法学者の船田享二。所属政党は民主自由党→自由党→日本民主党→自由民主党。自民党での所属派閥は岸信介派→川島正次郎派→椎名悦三郎派(十日会→交友クラブ)。
1907年12月3日、船田兵吾の三男として栃木県宇都宮市に生まれる。後に藤枝家の養子となる。浦和高等学校を経て1930年東京帝国大学法学部英法科を卒業。内務省に入省し、鹿児島県、愛媛県、埼玉県、群馬県で勤務する。群馬県副知事を経て、1949年(昭和24年)第24回衆議院議員総選挙に群馬1区(当時)から立候補し当選する。以後、当選8回[2]。1954年に第2次鳩山一郎内閣で大蔵政務次官に任命され、1960年には第1次池田内閣で総理府総務長官に任命されて初入閣。第2次池田内閣でも留任し、1961年、第2次池田第1次改造内閣で防衛庁長官に転任。1966年、第1次佐藤第2次改造内閣で運輸大臣[3]、続く第1次佐藤第3次改造内閣、第2次佐藤内閣では自治大臣兼国家公安委員会委員長、1969年、衆議院副議長などを歴任。憲法調査会委員、自民党副幹事長も務めた。
議員在職中の1971年6月6日、63歳で死去した。死没日付をもって正三位に叙され、勲一等旭日大綬章を追贈された。追悼演説は同年7月15日の衆議院本会議で、田邊誠により行われた[4]。
年譜
[編集]- 1907年(明治40年):船田兵吾の三男として栃木県宇都宮市に生まれる。藤枝秀吉の養子となる。
- 1930年(昭和5年):高文試験に合格し、東京帝国大学法学部英法科を卒業。鹿児島県・神奈川県の県警警部、兵庫県警察部工場課等を経て[5]、内務省に入省。
- 1940年(昭和24年):兵庫県経済統制課長(4級俸)兼知事官房主事[6]。
- 1943年(昭和18年):内務省物価局事務官、第二部日用品第一課長[7]。
- 群馬県副知事を経て
- 1949年(昭和24年)第24回衆議院議員総選挙に群馬1区から立候補し当選。
- 1954年(昭和29年):第1次鳩山一郎内閣で大蔵政務次官。
- 1960年(昭和35年):第1次池田内閣の総理府総務長官。
- 1961年(昭和36年):第2次池田内閣の防衛庁長官。
- 1966年(昭和41年):第1次佐藤内閣の運輸大臣[3]。
- 1967年(昭和42年):第2次佐藤内閣の自治大臣。
- 1969年(昭和44年):衆議院副議長に選出。
- 1971年(昭和46年):63歳で死去。
論文
[編集]- 『豪奢品等製造販売制限に関する講演』、1940年。
家族
[編集]- 妻 - 高島菊太郎長女 高島俊子
- 長男 - 冷、1937年生
脚注
[編集]- ^ “県連の歩み 年代・昭和35年(1960) ~ 昭和44年(1969)”. 自由民主党群馬県支部連合会. 2023年6月1日閲覧。
- ^ 当選同期に池田勇人・佐藤栄作・岡崎勝男・前尾繁三郎・橋本龍伍・麻生太賀吉・小渕光平・西村英一・橋本登美三郎・福田篤泰・福永健司・塚原俊郎・木村俊夫・稲葉修・河本敏夫・森山欽司・床次徳二・有田喜一など
- ^ a b “日本鉄道建設公団30年略史”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 8. (1993年3月23日)
- ^ 第66回 衆議院 本会議 第2号 昭和46年7月15日
- ^ 人事興信録、1941年。
- ^ 藤枝『豪奢品等製造販売制限に関する講演』、1940年。
- ^ 『日本興信録』、1943年。
議会 | ||
---|---|---|
先代 小平久雄 |
衆議院副議長 第47代:1969年 |
次代 荒舩清十郎 |
公職 | ||
先代 塩見俊二 |
自治大臣 第12・13代:1966年 - 1967年 |
次代 赤沢正道 |
先代 塩見俊二 |
国家公安委員会委員長 第22・23代:1966年 - 1967年 |
次代 赤沢正道 |
先代 荒舩清十郎 |
運輸大臣 第35代:1966年 |
次代 大橋武夫 |
先代 西村直己 |
防衛庁長官 第14代:1961年 - 1962年 |
次代 志賀健次郎 |
先代 福田篤泰 |
総理府総務長官 第4・5代:1960年 - 1961年 |
次代 小平久雄 |