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井上吉夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
井上 吉夫
いのうえ きちお
内閣広報室より公表された肖像
1998年 撮影)
生年月日 (1923-03-01) 1923年3月1日
出生地 日本の旗 日本 鹿児島県出水町
没年月日 (2003-10-24) 2003年10月24日(80歳没)
死没地 日本の旗 日本 鹿児島県出水市
出身校 旧制熊本高等工業学校採鉱冶金科
前職 日本鉱業従業員、農林業
所属政党 自由民主党田中派橋本派
称号 正三位[1]
勲一等旭日大綬章
参議院永年在職議員

日本の旗 第32代 国土庁長官
内閣 小渕内閣
在任期間 1998年10月23日 - 1999年1月14日

内閣 宇野内閣
小渕内閣
在任期間 1989年6月3日 - 1989年8月10日
1998年7月30日 - 1999年1月14日

選挙区 鹿児島県選挙区
当選回数 5回
在任期間 1974年7月7日 - 2003年10月24日

鹿児島県の旗 第50代 鹿児島県議会副議長
在任期間 1973年3月[2] - 1974年3月[2]
議長 佐多宗二

鹿児島県の旗 鹿児島県議会議員
当選回数 3回
在任期間 1963年 - 1974年

その他の職歴
第21代 自由民主党参議院議員会長
(総裁:橋本龍太郎
1997年 - 1998年
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井上 吉夫(いのうえ きちお、1923年大正12年〉3月1日 - 2003年平成15年〉10月24日)は、日本政治家参議院議員(5期)、国務大臣北海道開発庁長官、沖縄開発庁長官、国土庁長官)、鹿児島県議会議員(3期)、自由民主党参議院議員会長等を歴任。

来歴・人物

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鹿児島県出水町出身。地主だが自作もおこなう豪農の家に生まれる[3]。祖父の吉太郎は村会議員だった[4]。旧制鹿児島県立出水中学校(現:鹿児島県立出水高等学校)を経て[4]1942年[5]旧制熊本高等工業学校(現:熊本大学工学部)採鉱冶金科を卒業[6]。卒業と同時に日本鉱業に就職し、四国の白滝鉱山にて勤務するが、1年後に召集される[4]。復員後は帰郷して実家の農林業に従事するかたわら青年団活動に参加し、推されて1951年に出水町議に当選[3][4]。出水町の合併・市制施行後[3]、1954年から1958年に出水市議も務める[4]1961年出水市森林組合長(初代)に就任[4]1963年、鹿児島県議会議員に初当選[3][4]。計3期当選し[5]1973年には鹿児島県議会副議長に就任[3]

1974年第10回参議院議員通常選挙鹿児島県選挙区から自民党公認で立候補し初当選。自民党内では田中派に所属した。

1987年7月、経世会が結成され、田中派が竹下派(経世会)、二階堂グループ、中立系に3分裂した際は残留し、二階堂グループに所属した[7]

大蔵政務次官、参議院農林水産委員長、参議院予算委員会理事等を経て[4]1989年6月、宇野内閣北海道開発庁長官沖縄開発庁長官として初入閣。宇野内閣が超短命政権となったため、わずか2ヶ月しか長官を務められなかった。

1990年2月18日の衆院選後、二階堂グループは解散状態に陥る[8]。同年2月26日、井上は竹下派に入会した[9]

参議院予算委員長、裁判官弾劾裁判所裁判長、自民党参議院議員会長を務めた後、一時参議院議長候補に擬せられたが党内事情で就任は流れた[6]。宇野内閣時の大臣在任が短かったことと合わせてその不運に同情が集まり、通常参院議員の入閣は一回のみで離任したら再入閣はないというのが通例であるなか、1998年7月、小渕内閣で再び北海道開発庁長官兼沖縄開発庁長官に就任[6](10月からは国土庁長官も兼任)。翌年の1月まで務めた。1999年、秋の叙勲で勲一等旭日大綬章受章[10]

議員在職中の2003年10月24日、心不全のため鹿児島県出水市の病院で死去。80歳没。翌年の第20回参議院議員通常選挙には不出馬を表明していた。位階正三位

選挙歴

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当落 選挙 施行日 選挙区 政党 得票数 得票率 得票順位
/候補者数
比例区 比例順位
/候補者数
第10回参議院議員通常選挙 1974年7月7日 鹿児島県選挙区 自由民主党 313,751 34.6 1/6 - -
第12回参議院議員通常選挙 1980年7月4日 鹿児島県選挙区 自由民主党 323,615 34.3 1/5 - -
第14回参議院議員通常選挙 1986年7月6日 鹿児島県選挙区 自由民主党 325,469 33.7 1/4 - -
第16回参議院議員通常選挙 1992年7月26日 鹿児島県選挙区 自由民主党 308,549 40.7 1/4 - -
第18回参議院議員通常選挙 1998年7月12日 鹿児島県選挙区 自由民主党 235,026 27.0 2/5 - -
当選回数5回 (参議院議員5)

脚注

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  1. ^ 第159回国会 参議院 本会議 第1号 平成16年1月19日
  2. ^ a b "歴代正副議長一覧" (PDF) (Press release). 鹿児島県議会事務局総務課秘書室. p. 2. 2024年4月24日閲覧
  3. ^ a b c d e 「背筋も緊張 自民党参議院議員会長 井上吉夫」『国会画報』第39巻第10号、麹町出版、1997年10月1日、1-4頁。
  4. ^ a b c d e f g h 「3 井上吉夫 民衆の心を知る"吉ちゃん先生"」田崎喜朗編著『裸の政治家』政界出版社、1984年10月25日、35-47頁。
  5. ^ a b 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年11月、240頁。
  6. ^ a b c 「特集 経済再生内閣の苦闘 経済再生内閣閣僚全人像(下) ―逆風の試練―」『月刊官界』第24巻第10号、行研、1998年10月1日、72-74頁。
  7. ^ 『国会便覧 昭和62年8月新版』(第76版)日本政経新聞社、1987年9月1日、333-336頁。 
  8. ^ 『朝日新聞』1990年2月20日付朝刊、2面、「二階堂グループが解散状態に 総選挙で田中氏落選、参院2人宮沢派へ」。
  9. ^ 『朝日新聞』1990年2月27日付朝刊、2面、「二階堂グループ、活動に“終止符” 江崎氏ら3氏を除き他派閥へ」。
  10. ^ 「99年秋の叙勲 勲三等以上と在外邦人、外国人、在日外国人の受章者一覧」『読売新聞』1999年11月3日朝刊
公職
先代
鈴木宗男
坂元親男
日本の旗 北海道開発庁長官
第67代:1998年 - 1999年
第52代:1989年
次代
川崎二郎
阿部文男
先代
鈴木宗男
坂元親男
日本の旗 沖縄開発庁長官
第36代:1998年 - 1999年
第21代:1989年
次代
野中広務
阿部文男
先代
柳澤伯夫
日本の旗 国土庁長官
第32代:1998年 - 1999年
次代
関谷勝嗣
議会
先代
遠藤要
日本の旗 参議院予算委員長
1993年 - 1994年
次代
坂野重信
先代
青井政美
日本の旗 参議院農林水産委員長
1980年 - 1981年
次代
坂元親男
先代
伊集院忠雄
鹿児島県の旗 鹿児島県議会副議長
1973年 - 1974年
次代
小里貞利
党職
先代
坂野重信
自由民主党参院議員会長
第21代:1997年 - 1998年
次代
井上裕