井上吉夫
井上 吉夫 いのうえ きちお | |
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生年月日 | 1923年3月1日 |
出生地 | 日本 鹿児島県出水町 |
没年月日 | 2003年10月24日(80歳没) |
死没地 | 日本 鹿児島県出水市 |
出身校 | 旧制熊本高等工業学校採鉱冶金科 |
前職 | 日本鉱業従業員、農林業 |
所属政党 | 自由民主党(田中派→橋本派) |
称号 |
正三位[1] 勲一等旭日大綬章 参議院永年在職議員 |
第32代 国土庁長官 | |
内閣 | 小渕内閣 |
在任期間 | 1998年10月23日 - 1999年1月14日 |
内閣 |
宇野内閣 小渕内閣 |
在任期間 |
1989年6月3日 - 1989年8月10日 1998年7月30日 - 1999年1月14日 |
選挙区 | 鹿児島県選挙区 |
当選回数 | 5回 |
在任期間 | 1974年7月7日 - 2003年10月24日 |
第50代 鹿児島県議会副議長 | |
在任期間 | 1973年3月[2] - 1974年3月[2] |
議長 | 佐多宗二 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1963年 - 1974年 |
その他の職歴 | |
第21代 自由民主党参議院議員会長 (総裁:橋本龍太郎) (1997年 - 1998年) |
井上 吉夫(いのうえ きちお、1923年〈大正12年〉3月1日 - 2003年〈平成15年〉10月24日)は、日本の政治家。参議院議員(5期)、国務大臣(北海道開発庁長官、沖縄開発庁長官、国土庁長官)、鹿児島県議会議員(3期)、自由民主党参議院議員会長等を歴任。
来歴・人物
[編集]鹿児島県出水町出身。地主だが自作もおこなう豪農の家に生まれる[3]。祖父の吉太郎は村会議員だった[4]。旧制鹿児島県立出水中学校(現:鹿児島県立出水高等学校)を経て[4]、1942年に[5]旧制熊本高等工業学校(現:熊本大学工学部)採鉱冶金科を卒業[6]。卒業と同時に日本鉱業に就職し、四国の白滝鉱山にて勤務するが、1年後に召集される[4]。復員後は帰郷して実家の農林業に従事するかたわら青年団活動に参加し、推されて1951年に出水町議に当選[3][4]。出水町の合併・市制施行後[3]、1954年から1958年に出水市議も務める[4]。1961年出水市森林組合長(初代)に就任[4]。1963年、鹿児島県議会議員に初当選[3][4]。計3期当選し[5]、1973年には鹿児島県議会副議長に就任[3]。
1974年、第10回参議院議員通常選挙に鹿児島県選挙区から自民党公認で立候補し初当選。自民党内では田中派に所属した。
1987年7月、経世会が結成され、田中派が竹下派(経世会)、二階堂グループ、中立系に3分裂した際は残留し、二階堂グループに所属した[7]。
大蔵政務次官、参議院農林水産委員長、参議院予算委員会理事等を経て[4]、1989年6月、宇野内閣の北海道開発庁長官兼沖縄開発庁長官として初入閣。宇野内閣が超短命政権となったため、わずか2ヶ月しか長官を務められなかった。
1990年2月18日の衆院選後、二階堂グループは解散状態に陥る[8]。同年2月26日、井上は竹下派に入会した[9]。
参議院予算委員長、裁判官弾劾裁判所裁判長、自民党参議院議員会長を務めた後、一時参議院議長候補に擬せられたが党内事情で就任は流れた[6]。宇野内閣時の大臣在任が短かったことと合わせてその不運に同情が集まり、通常参院議員の入閣は一回のみで離任したら再入閣はないというのが通例であるなか、1998年7月、小渕内閣で再び北海道開発庁長官兼沖縄開発庁長官に就任[6](10月からは国土庁長官も兼任)。翌年の1月まで務めた。1999年、秋の叙勲で勲一等旭日大綬章受章[10]。
議員在職中の2003年10月24日、心不全のため鹿児島県出水市の病院で死去。80歳没。翌年の第20回参議院議員通常選挙には不出馬を表明していた。位階は正三位。
選挙歴
[編集]当落 | 選挙 | 施行日 | 選挙区 | 政党 | 得票数 | 得票率 | 得票順位 /候補者数 |
比例区 | 比例順位 /候補者数 | |
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当 | 第10回参議院議員通常選挙 | 1974年7月7日 | 鹿児島県選挙区 | 自由民主党 | 313,751 | 34.6 | 1/6 | - | - | |
当 | 第12回参議院議員通常選挙 | 1980年7月4日 | 鹿児島県選挙区 | 自由民主党 | 323,615 | 34.3 | 1/5 | - | - | |
当 | 第14回参議院議員通常選挙 | 1986年7月6日 | 鹿児島県選挙区 | 自由民主党 | 325,469 | 33.7 | 1/4 | - | - | |
当 | 第16回参議院議員通常選挙 | 1992年7月26日 | 鹿児島県選挙区 | 自由民主党 | 308,549 | 40.7 | 1/4 | - | - | |
当 | 第18回参議院議員通常選挙 | 1998年7月12日 | 鹿児島県選挙区 | 自由民主党 | 235,026 | 27.0 | 2/5 | - | - | |
当選回数5回 (参議院議員5) |
脚注
[編集]- ^ 第159回国会 参議院 本会議 第1号 平成16年1月19日
- ^ a b "歴代正副議長一覧" (PDF) (Press release). 鹿児島県議会事務局総務課秘書室. p. 2. 2024年4月24日閲覧。
- ^ a b c d e 「背筋も緊張 自民党参議院議員会長 井上吉夫」『国会画報』第39巻第10号、麹町出版、1997年10月1日、1-4頁。
- ^ a b c d e f g h 「3 井上吉夫 民衆の心を知る"吉ちゃん先生"」田崎喜朗編著『裸の政治家』政界出版社、1984年10月25日、35-47頁。
- ^ a b 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年11月、240頁。
- ^ a b c 「特集 経済再生内閣の苦闘 経済再生内閣閣僚全人像(下) ―逆風の試練―」『月刊官界』第24巻第10号、行研、1998年10月1日、72-74頁。
- ^ 『国会便覧 昭和62年8月新版』(第76版)日本政経新聞社、1987年9月1日、333-336頁。
- ^ 『朝日新聞』1990年2月20日付朝刊、2面、「二階堂グループが解散状態に 総選挙で田中氏落選、参院2人宮沢派へ」。
- ^ 『朝日新聞』1990年2月27日付朝刊、2面、「二階堂グループ、活動に“終止符” 江崎氏ら3氏を除き他派閥へ」。
- ^ 「99年秋の叙勲 勲三等以上と在外邦人、外国人、在日外国人の受章者一覧」『読売新聞』1999年11月3日朝刊
公職 | ||
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先代 鈴木宗男 坂元親男 |
北海道開発庁長官 第67代:1998年 - 1999年 第52代:1989年 |
次代 川崎二郎 阿部文男 |
先代 鈴木宗男 坂元親男 |
沖縄開発庁長官 第36代:1998年 - 1999年 第21代:1989年 |
次代 野中広務 阿部文男 |
先代 柳澤伯夫 |
国土庁長官 第32代:1998年 - 1999年 |
次代 関谷勝嗣 |
議会 | ||
先代 遠藤要 |
参議院予算委員長 1993年 - 1994年 |
次代 坂野重信 |
先代 青井政美 |
参議院農林水産委員長 1980年 - 1981年 |
次代 坂元親男 |
先代 伊集院忠雄 |
鹿児島県議会副議長 1973年 - 1974年 |
次代 小里貞利 |
党職 | ||
先代 坂野重信 |
自由民主党参院議員会長 第21代:1997年 - 1998年 |
次代 井上裕 |