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荒木正三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
荒木正三郎
あらき しょうざぶろう
生年月日 1906年9月17日
出生地 日本の旗 日本 大阪府
没年月日 (1969-06-16) 1969年6月16日(62歳没)
出身校 池田師範学校専攻科卒業
(現・大阪教育大学
前職 教員
所属政党 日本社会党
称号 従四位
勲二等瑞宝章

選挙区 全国区
当選回数 2回
在任期間 1950年6月4日 - 1962年7月7日
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荒木 正三郎(あらき しょうざぶろう、1906年明治39年)9月17日[1] - 1969年昭和44年)6月16日[1][2][3])は、昭和期の労働運動[4]、教育者、政治家参議院議員

経歴

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大阪府出身[1][2][3]。1927年(昭和2年)池田師範学校(現:大阪教育大学)専攻科を卒業した[1][2][3]。同年、大阪府豊能郡箕面小学校訓導に就任[1][3]。以後、秦野小学校訓導、北豊島小学校訓導、池田市立北豊島小学校長を歴任した[1][2][3]

戦後、大阪教員組合委員長に就任[1]。1947年(昭和22年)初代日本教職員組合中央執行委員長となり4期在任し[1][2]、また、日本教育会会長を務めた[3]

1950年(昭和25年)6月の第2回参議院議員通常選挙全国区から日本社会党公認で出馬して当選[1][3][5]第4回通常選挙でも当選し[6]、参議院議員を連続2期務めた[1][2][3]。この間、参議院内閣委員長、同農林水産委員長、日本社会党国会対策副委員長、日本民主教育政治連盟会長などを務めた[1][3]。1962年(昭和37年)7月の第6回通常選挙には出馬せず引退した[7]

その後、日本社会党大阪本部顧問を務めた[1][2]

1969年(昭和44年)6月16日死去、62歳。死没日をもって勲二等瑞宝章追贈、従四位に叙される[8]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l 『新訂 政治家人名事典』27頁。
  2. ^ a b c d e f g 『市民・社会運動人名事典』21頁。
  3. ^ a b c d e f g h i 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』238頁。
  4. ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 58頁。
  5. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』540頁。
  6. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』546頁。
  7. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』548-549頁。
  8. ^ 『官報』第12754号20-21頁 昭和44年6月23日号

参考文献

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  • 『市民・社会運動人名事典』日外アソシエーツ、1990年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
  • 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
議会
先代
小酒井義男
日本の旗 参議院内閣委員長 次代
新谷寅三郎
先代
新設
日本の旗 参議院農林水産委員長 次代
江田三郎