岩本政光
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岩本政光 いわもと まさみつ | |
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生年月日 | 1929年4月15日 |
出生地 |
日本 北海道札幌郡豊平町石山 (現札幌市南区石山) |
没年月日 | 2014年7月5日(85歳没) |
死没地 | 日本 北海道札幌市 |
出身校 | 北海道大学工学部土木科卒業 |
前職 | 東洋交通社長 |
所属政党 | 自由民主党 |
称号 |
正四位 勲二等旭日重光章 |
親族 |
父・岩本政一(参議院議員) 弟・岩本允(北海道議会議長) 甥・岩本剛人(参議院議員) |
選挙区 | 北海道選挙区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1980年7月8日 - 1992年7月7日 |
当選回数 | 2回 |
岩本 政光(いわもと まさみつ、1929年(昭和4年)4月15日 - 2014年(平成26年)7月5日)は、日本の実業家、政治家。参議院議員(自民党)。
来歴・人物
[編集]北海道札幌郡豊平町石山(現札幌市南区石山)生まれ。北海中学校を経て北海道大学工学部土木科を卒業した。学生時代からスキーの製作を手がけ、そのまま実業界へと入る。1960年(昭和35年)にタクシー業の東洋交通[1]を設立した。父・政一の選挙活動を手伝ううちに、政界を志すようになる。北海道議会議員を2期務めたのち、1980年(昭和55年)の第12回参議院議員通常選挙で自民党から立候補、初当選を果たし参議院議員を2期務めた。
1990年(平成2年)にクモ膜下出血で倒れた。1992年(平成4年)の第16回参議院議員通常選挙で落選し、1995年(平成7年)夏、次期衆院選北海道3区での出馬を表明し事務所開きをするも、直後に撤回して引退した。国会議員時代は自民党で宏池会に所属して主に商工・都市対策を手掛け、参議院商工委員会委員長や、第1次中曽根内閣で北海道開発庁政務次官を歴任した。
引退後は、再び東洋交通の社長職に復帰し、北海道軟式野球連盟代表、北海道フォークダンス連合会会長などを務めた。趣味の囲碁は6段の腕前の持ち主であった。
2014年(平成26年)7月5日、脳梗塞のため札幌市の病院で死去、85歳[2]。死没日をもって正四位に叙される[3]。
栄典
[編集]家族
[編集]父は、実業家で北海道議会議員及び議長、参議院議員の岩本政一、妻は北海道議会議長を務めた吉田政一の妹[4]、弟は北海道議会議員・第21代議長の岩本允、允の次男で甥の岩本剛人も元北海道議会議員で現参議院議員。
著作
[編集]『ふるさと(北海道)へのメッセージ : 1980-1985』北海道21世紀問題研究所、1985年11月。 NCID BA5008943X。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 日外アソシエーツ編『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』紀伊国屋書店、2005年。
- 北海道21世紀タイムス編『北海学園120年の群像』北海道21世紀タイムス、2005年。
議会 | ||
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先代 名尾良孝 |
参議院商工委員長 1991年 - 1992年 |
次代 斎藤文夫 |
先代 亀長友義 |
参議院内閣委員長 1986年 - 1987年 |
次代 名尾良孝 |