大城眞順
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大城 眞順(おおしろ しんじゅん、1927年10月5日[1] - 2016年2月18日)は、日本の政治家。沖縄返還前の琉球政府では立法院議員として活動し、復帰後には衆議院議員(1期)、参議院議員(2期)を務めた。
大城 眞順 おおしろ しんじゅん | |
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生年月日 | 1927年10月5日 |
出生地 | 日本 沖縄県島尻郡玉城村(現・南城市) |
没年月日 | 2016年2月18日(88歳没) |
死没地 | 日本 沖縄県那覇市 |
出身校 | ミズーリ州立大学卒業 |
所属政党 |
(沖縄自由民主党→) 自由民主党(田中派→竹下派) |
称号 |
那覇市功労者 沖縄県功労者 正四位 勲二等旭日重光章 |
選挙区 | 沖縄県選挙区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1982年11月15日 - 1992年7月7日 |
選挙区 | 沖縄県全県区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1979年10月8日 - 1980年5月19日 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1972年 - 1979年 |
略歴
[編集]1965年の琉球政府の第7回立法院議員総選挙で第26区より当選。
1968年の第8回立法院議員総選挙で再選。
1979年10月7日の第35回衆議院議員総選挙に沖縄県全県区に自由民主党から出馬し、初当選。四十日抗争では田中派として大平正芳に投票[2]。
1980年の第36回衆議院議員総選挙で落選。
1980年の喜屋武眞榮の任期途中での沖縄県知事選出馬に伴う第12回参議院議員通常選挙の沖縄県選挙区補欠選挙で自由民主党から出馬し、初当選。
1983年の第2次中曽根内閣で沖縄開発政務次官に就任。1984年の第2次中曽根内閣 (第1次改造)でも留任。
1986年の第14回参議院議員通常選挙で再選。
1992年の第16回参議院議員通常選挙で3期目を目指したが沖縄社会大衆党の島袋宗康に341票差で敗れ落選。
1995年の第17回参議院議員通常選挙で返り咲きを狙うも前沖縄県議会議員で社会党・公明党・沖縄社会大衆党推薦の照屋寛徳に敗れ落選。
2001年、稲嶺恵一知事から沖縄県功労者表彰を受ける[5]。
2016年2月18日、老衰のため死去[6]。88歳没。叙正四位[7]。
その他
[編集]元秘書
[編集]著書
[編集]- 『ふるさとの心ー幾世かけて大城真順』(真世会、1985年11月)
脚注
[編集]- ^ 第36回衆議院選挙区選出議員選挙(糸満市投開票区)
- ^ 四十日抗争
- ^ 「97年秋の叙勲受章者勲三等以上の一覧」『読売新聞』1997年11月3日朝刊
- ^ 平成22年度那覇市政功労者
- ^ 沖縄の復興、発展に尽くす/県功労者10氏を表彰
- ^ 大城真順氏が死去 元自民党衆院議員 88歳 琉球新報 2016年2月18日閲覧
- ^ 平成28年3月25日官報
- ^ 1992年(平成4年)沖縄県内十大ニュース
議会 | ||
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先代 名尾良孝 |
参議院内閣委員長 1988年 - 1989年 |
次代 板垣正 |