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新谷寅三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
新谷 寅三郎
しんたに とらさぶろう
生年月日 (1902-10-30) 1902年10月30日
出生地 奈良県橿原市
没年月日 (1984-12-16) 1984年12月16日(82歳没)
出身校 東京帝国大学(現・東京大学
前職
所属政党緑風会→)
自由民主党
称号

日本の旗 第25代 郵政大臣
内閣 第1次佐藤第2次改造内閣
在任期間 1966年8月1日 - 1966年12月3日

日本の旗 第43代 運輸大臣
内閣 第2次田中角栄内閣
在任期間 1972年12月22日 - 1973年11月25日

選挙区全国区→)
奈良県選挙区
当選回数 7回(院内歴代連続最多)
在任期間 1947年5月3日 - 1984年12月16日
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新谷 寅三郎(しんたに とらさぶろう、1902年〈明治35年〉10月30日1984年〈昭和59年〉12月16日)は、日本政治家官僚郵政大臣運輸大臣を歴任。位階正三位1974年勲一等旭日大綬章受章。

来歴・人物

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奈良県高市郡八木町(現・橿原市)に、新谷寅蔵の三男として生まれる。畝傍中学校(現・奈良県立畝傍高等学校)4年修了、1922年3月第一高等学校文科甲[1]を経て、1925年東京帝国大学法学部政治学科を卒業、逓信省に入省する。灯台局長、海務院総務局長を経て、運輸通信省海運局長時代に東條英機首相から木造船の増産を命じられるも、「船釘を作る鉄が不足? 隠匿物資を探して来い」式のむちゃな指示にたまりかね辞職する。

戦後の1945年、同期入省の松前重義の要請により、逓信院次長となる(総裁は松前)。その後同院総裁心得を経て、1947年第1回参議院議員通常選挙に無所属で全国区から立候補し当選する。以後7回連続当選を果たし、生涯参議院議員を務める。1950年からは奈良県選挙区から当選を重ねる。党派は緑風会 - 自由民主党に所属。

自民党では石井光次郎派に所属する。労働政務次官、参院内閣、地方行政、大蔵、予算各委員長を経て、1966年第1次佐藤第2次改造内閣で郵政大臣として初入閣する。1971年の参院議長選挙では、反重宗雄三グループ「桜会」の中心メンバーとして河野謙三議長実現に活躍した。

1972年第2次田中角栄内閣で運輸大臣。リニア中央新幹線の奈良経由に尽力した[2][3]。その後は自民党党紀委員長、同両院議員総会長を務めた。1984年12月16日、心不全のため大田区北千束の自宅で死去。享年82。

家族・親族

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  • 妻・茂子(1909年8月生 - 、子爵稲葉順通三女)
  • 長男・尚(1929年11月 - )
  • 次男・孝(1932年8月 - )
  • 長女・康子(1935年4月 - )
  • 三男・淳(1938年5月 - )

その他

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脚注

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  1. ^ 第一高等学校「生徒及卒業生」『第一高等学校一覧』 自大正13年至大正14年、第一高等学校、1924年、161頁。NDLJP:925340/85 
  2. ^ リニア中央新幹線の誘致には 新谷寅三郎さんの功績が大きかったのです。”. 奈良県議会副議長 井岡正徳 オフィシャルブログ (2013年6月23日). 2014年3月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月15日閲覧。
  3. ^ 平成23年 9月 定例会(第304回)」『奈良県議会』(議事録)、4巻、2011年9月30日、286頁。リニア中央新幹線が奈良市付近を通ることにご尽力された人物として、新谷寅三郎先生の存在があったことを、県民の皆様とともに改めて思い起こし、記憶にとどめていただきたいと思っております。
  4. ^ 大正14年、高等文官試験合格入省者一覧”. 逓信事業の人物史. 2021年3月2日閲覧。[信頼性要検証]

参考文献

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議会
先代
石原幹市郎
日本の旗 参議院予算委員長
1967年 - 1968年
次代
西郷吉之助
先代
佐野広
日本の旗 参議院大蔵委員長
1963年 - 1964年
次代
村松久義
先代
館哲二
日本の旗 参議院地方行政委員長
1959年 - 1960年
次代
増原惠吉
先代
荒木正三郎
日本の旗 参議院内閣委員長
1955年
次代
小柳牧衛
公職
先代
郡祐一
日本の旗 郵政大臣
第25代:1966年
次代
小林武治
先代
佐々木秀世
日本の旗 運輸大臣
第43代:1972年 - 1973年
次代
徳永正利
名誉職
先代
町村金五
最年長参議院議員
1983年7月 - 1984年12月
次代
安孫子藤吉