木檜三四郎
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木檜 三四郎 こぐれ さんしろう | |
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木檜三四郎 | |
生年月日 | 1868年9月19日 |
出生地 | 日本 群馬県吾妻郡岩島村 |
没年月日 | 1959年8月14日(90歳没) |
出身校 | 東京専門学校 |
所属政党 |
憲政会 立憲民政党 |
称号 | 正四位勲二等旭日重光章 |
木檜 三四郎(こぐれ さんしろう、1868年9月19日(明治元年8月4日[1]) - 1959年(昭和34年)8月14日)は、明治時代から昭和時代にかけての日本の政治家。初代参議院仮議長である。位階・勲等は正四位勲二等(旭日重光章)。群馬県吾妻郡岩島村(のち吾妻町、現在の東吾妻町)出身。東京専門学校(現在の早稲田大学)政治科卒業。
年譜
[編集]- 1868年、岩島村の片貝家に誕生。その後、木檜家に養子に出される。
- 1894年、群馬県議会議員初当選。以後連続6期当選。
- 1920年、衆議院議員初当選。以後6期当選
- 1928年、第25回列国議会同盟会議(ベルリン)に日本代表として列席。
- 1947年、参議院議員当選。参議院仮議長を務める。参議院議員1期を務める。
- 1959年8月14日、死亡。
政治家としての歩み
[編集]- 群馬県吾妻郡原町長
- 吾妻郡会議員、吾妻郡会議長
- 群馬県議会議員(6期)
- 衆議院議員(7期)
- 参議院議員(1期)、参議院仮議長
所属政党
[編集]主な役職
[編集]- 吾妻郡所得税調査委員
- 吾妻郡簡易生命保険運用委員
- 吾妻郡鉄道会議議員
- 群馬県森林組合連合会会長
- 群馬県農工銀行監査役
- 原町銀行取締役
- 奥利根ホテル社長
- 日刊群馬日日新聞社社長
- 群馬バス取締役
出席した国際会議
[編集]- 第14回万国議院商事会議(パリ)
- 第25回列国議会同盟会議(ベルリン)
逸話
[編集]- 戦時中の翼賛選挙のとき、軍部を批判したところ、選挙民の反感を買い、それまで連続6期当選していたにもかかわらず落選となった。戦後、参議院議員選挙に出馬し、1期務めた。
脚注
[編集]- ^ 衆議院『第四十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1924年、10頁。
関連項目
[編集]議会 | ||
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先代 新設 |
参議院仮議長 初代 : 1947年 |
次代 黒田英雄 |
名誉職 | ||
先代 新設 |
最年長参議院議員 1947年4月 - 1950年5月 |
次代 西田天香 |