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小林章 (参議院議員)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

小林 章(こばやし あきら、1915年大正4年)7月10日[1]1999年平成11年)8月1日[2])は、日本昭和期の大蔵官僚政治家参議院議員日本専売公社総務理事。

経歴

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大阪府[3]大阪市出身[2]大阪高等学校を卒業[4]。1937年(昭和12年)10月、高等試験行政科試験に合格[4]。1938年(昭和13年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業した[3][2][4]。同年、大蔵省に入省し[3][2]主税局属となる[4]

以後、大阪税関総務部長、松山海運局監理部長、高松財務局経理部長、同関税部長、大蔵省管理局財務第二課長などを歴任した[3]

日本専売公社に移り、塩業課長、主計課長、仙台地方局長、本社綜合企画室長、塩脳部長、臨時塩業整備本部長、経理部長、企画部長、総務理事を歴任し[3]、1964年(昭和39年)に退任した[2]

1965年(昭和40年)7月の第7回参議院議員通常選挙全国区から自由民主党公認で出馬して当選[3][2][5]。選挙に際して専売公社職員らの支援を受けたが、選挙後に本社企画課長、地方の支局長などの幹部ら40数名に及ぶ職員が公職選挙法違反(公務員の地位利用)で逮捕、起訴されている[6][7]。小林は同年8月、片頭痛と慢性胃炎の持病が悪化を理由に日本専売公社東京病院(現:国際医療福祉大学三田病院)に入院、面会謝絶となった[8]

議員在任中に参議院専売特別委員会副委員長などを務めた[2]。その後、第9回通常選挙に立候補したが落選し[9]、参議院議員に1期在任した[3][2]

その他、全国たばこ販売政治連盟顧問、塩業組合中央会顧問、塩元売協同組合顧問、全日本塩販売協会顧問、日本倉庫協会顧問、日本司法書士政治連盟大阪会顧問、自民党大阪府支部連顧問などを務めた[3]

著作

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  • 『お塩の増減産こぼれ話』小林章、1992年。

脚注

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  1. ^ 『日本人事録 第6版 全国篇』370頁。
  2. ^ a b c d e f g h 『現代物故者事典 1997-1999』237頁。
  3. ^ a b c d e f g h 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』305頁。
  4. ^ a b c d 『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、325頁。
  5. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』549頁
  6. ^ 「小林派の出張所長を初起訴」『日本経済新聞』昭和40年7月15日、15面。
  7. ^ 「中外春秋」『日本経済新聞』昭和40年7月17日夕刊、1面。
  8. ^ 「大人事異動に発展? 検挙者続出の専売公社 頭かかえる幹部連」『日本経済新聞』昭和40年8月5日、15面。
  9. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』552頁。

参考文献

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  • 『日本人事録 第6版 全国篇』中央探偵社、1963年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『現代物故者事典 1997-1999』日外アソシエーツ、2000年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、東京大学出版会、2007年。
  • 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。