斎藤栄三郎
斎藤 栄三郎 さいとう えいざぶろう | |
---|---|
| |
生年月日 | 1913年6月19日 |
出生地 | 東京 |
没年月日 | 2000年7月9日(87歳没) |
死没地 | 神奈川県川崎市 |
出身校 | 早稲田大学商学部 |
前職 |
日本経済新聞記者 立正大学教授 NHK解説委員 |
所属政党 | 自由民主党 |
称号 |
従三位 勲一等瑞宝章 |
第44代 科学技術庁長官 | |
内閣 | 第1次海部内閣 |
在任期間 | 1989年8月10日 - 1990年2月28日 |
選挙区 |
(全国区→) 比例区 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1974年7月8日 - 1992年7月9日 |
斎藤 栄三郎(齋藤 榮三郎[1]、さいとう えいざぶろう、1913年6月19日 - 2000年7月9日[2])は、日本の政治家。自由民主党参議院議員、経済評論家。東京出身[3]。早稲田大学商学部卒業[3]。商学博士、法学博士、文学博士[3]。
来歴・人物
[編集]1931年、旧制日本大学中学校(現在の日本大学第一高等学校)卒業。1936年早稲田大学商学部卒業後[4]、日本経済新聞社に入社[2]。上海支局長、シンガポール支局長などを歴任した[3]。
1949年には「一九四一~五年に於ける日本経済の実証的研究」にり早稲田大学から商学博士[5]、1959年には「賠償の実証的研究」により中央大学から法学博士[6]、1965年には「イスラムの社会思想」により東洋大学から文学博士を、それぞれ論文博士として取得した[7]。
立正大学教授、NHK解説委員を経て[2]、フリーの経済評論家となり、TBSの『時事放談』などに出演。1974年、第10回参議院議員通常選挙に全国区から自民党公認で出馬し初当選。1992年に引退するまで3期務めた。労働政務次官、参議院商工委員長を経て1989年8月から1990年2月まで第1次海部内閣の科学技術庁長官を務めた。
1984年に日本経済通信社から上梓した『世界を動かすユダヤパワーの秘密』は、いわゆるユダヤ陰謀論に基づく書物であり、反ユダヤ本として米国のユダヤ人団体から抗議を受けた。
科学技術庁長官に任命された際、閣僚名簿読み上げ後の記者会見で、六ヶ所再処理工場の計画に関して、「六ヶ所村の件ですが」と聞かれると、「それはどこだ」と聞き返した。数年後、ニュースステーションで久米宏に、このときの発言を揶揄されたこともあった。
2000年7月9日、腎不全のため神奈川県川崎市の小田切病院で死去、87歳没[8]。死没日をもって従三位に叙される[1]。
著書
[編集]- 金はどうなるか(日本経済通信社 1981年)
- ソ連・東欧に何が起きているか(日本経済通信社 1982年)
- 曲がり角にきた選挙(日本経済通信社 1982年)
- 悪魔の世界戦争史 (上)(日本経済通信社 1982年)
- アメリカの金本位制復帰で日本経済はどうなるか(日本経済通信社 1982年)
- 宰相中曽根康弘の思想と行動(日本経済通信社 1983年)
- これから賢くお金をふやす方法(日本経済通信社 1983年)
- 人間における法華経の研究(日本経済通信社 1983年)
- 中曽根首相のイメージが一変する本(日本経済通信社 1983年)
- 西欧に学ぶ日本の未来(日本経済通信社 1983年)
- 世界を動かすユダヤパワーの秘密(日本経済通信社 1984年)
- 新・宗教社会学のすすめ(日本経済通信社 1984年)
- 政治家語録の読み方(日本経済通信社 1985年)
- 高齢化社会を乗り切るには?―北欧先進福祉国家を訪ねて(通産新報社 1986年)
- 明日のアフリカ(ヒューマン・ドキュメント社 1987年)
- 定家 明月記と私(ヒューマン・ドキュメント社 1987年)
- 尺八―三曲の世界(ヒューマン・ドキュメント社 1988年)
- 外国からきた新語辞典(集英社 1989年)
- 私の経済履歴書(読売新聞社 1991年)
- 政治改革の原点―政界汚職百年史(北風書房 1992年)
- 明日への日本経済―市場経済と世界不況の出口(北風書房 1992年)
- 選挙制度の研究(巌南堂書店 1994年)
- 死生一如―人生に幕を引く心の準備(河出書房新社 1995年)
- 現代政治の論究―選挙制度に関する資料と分析(河出書房新社 1996年)
- 歌舞伎へようこそ(河出書房新社 1996年)
- 人生は一回、楽しく年をとれ!―熟年世代からの心のやすらぎを得るために あなたの老後のための指針(日新報道 1999年)
出典
[編集]- ^ a b 『官報』第2930号8-9頁 平成12年8月10日号
- ^ a b c 「斎藤栄三郎」『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』 。コトバンクより2022年12月31日閲覧。
- ^ a b c d 本田宗一郎 (1985). 本田宗一郎は語る―不常識を非真面目にやれ. 講談社. p. 213. ISBN 978-4062022415
- ^ a b 「斎藤 栄三郎」『20世紀日本人名事典 / 新訂 政治家人名事典 明治~昭和』 。コトバンクより2022年12月31日閲覧。
- ^ “一九四一~五年に於ける日本経済の実証的研究”. 国立国会図書館. 2020年1月22日閲覧。
- ^ “賠償の実証的研究”. 国立国会図書館. 2020年1月22日閲覧。
- ^ “イスラムの社会思想”. 国立国会図書館. 2020年1月22日閲覧。
- ^ “訃報”. 産経新聞. (2000年7月11日). オリジナルの2000年10月19日時点におけるアーカイブ。 2022年12月31日閲覧。
公職 | ||
---|---|---|
先代 中村喜四郎 |
科学技術庁長官 第44代:1989年 -1990年 |
次代 大島友治 |
先代 中村喜四郎 |
総理府原子力委員会委員長 第44代:1989年 - 1990年 |
次代 大島友治 |
議会 | ||
先代 亀井久興 |
参議院商工委員長 1983年 - 1984年 |
次代 降矢敬義 |