岡田広 (軍恩連)
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岡田 広(岡田 廣[1]、おかだ ひろし、1910年(明治43年)4月6日[2] - 2005年(平成17年)7月10日[3])は、日本の政治家。参議院議員(3期、自由民主党)。軍恩連盟全国連合会理事長。
経歴
[編集]現在の栃木県矢板市出身[2]。1936年(昭和11年)東京帝国大学文学部[2]教育学科卒。翌年召集されて、1946年(昭和21年)に復員の後、芝浦工業大学講師・同短大教授を務めた[2]。この間、1960年(昭和35年)第29回衆議院議員総選挙と1967年(昭和42年)第31回総選挙に栃木2区から出馬するも(1回目は自民党公認で、2回目は無所属)何れも落選している[4]。
軍恩連盟全国連合会理事長を経て、1974年の参院選に全国区から自民党公認で立候補して当選し[5]、3期務めた[2]。1980年(昭和55年)秋の叙勲で勲三等旭日中綬章受章(勲五等からの昇叙)[6]。
1992年(平成4年)春の叙勲で勲二等旭日重光章受章[7]。同年、引退した[2]。
2005年(平成17年)7月10日、急性心不全のため神奈川県横浜市青葉区の病院で死去、95歳[8]。死没日をもって正七位から正四位に叙される[1]。
脚注
[編集]- ^ a b 『官報』第4155号11-12頁 平成17年8月12日号
- ^ a b c d e f 『新訂 現代政治家人名事典』114頁。
- ^ 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年、270頁。
- ^ 『国政選挙総覧:1947-2016』69頁。
- ^ 『国政選挙総覧:1947-2016』552頁。
- ^ 『官報』第16144号4頁 昭和55年11月13日号
- ^ 『官報』号外第58号10頁 平成4年4月30日号
- ^ “岡田広氏死去/元自民党参院議員”. 四国新聞. (2005年7月13日). https://www.shikoku-np.co.jp/national/okuyami/article.aspx?id=20050713000459 2022年12月20日閲覧。
参考文献
[編集]- 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』日外アソシエーツ、2005年。
- 『国政選挙総覧:1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
議会 | ||
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先代 石本茂 |
参議院懲罰委員長 1982年 - 1983年 |
次代 小林国司 |
先代 稲嶺一郎 |
参議院沖縄及び北方問題に関する特別委員長 | 次代 西村尚治 |
参議院懲罰委員長 (1982年-1983年) | |
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第1回 (定数100) |
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†:当選無効・失格など、↓:途中辞職・死去など、↑:繰上げ当選または補欠選挙で当選(合併選挙で当選した3年議員を除く)。 |
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↓:途中辞職・在職中死去など、▼:除名、↑:繰上げ当選、x:繰上げなし |
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