コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

本田良一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
本田 良一
ほんだ りょういち
生年月日 (1940-04-24) 1940年4月24日
出生地 日本の旗 熊本県
没年月日 (2022-07-22) 2022年7月22日(82歳没)
出身校 北九州市立大学
前職 熊本県議会議員
所属政党日本社会党→)
社会民主党→)
旧民主党→)
民主党→)
無所属→)
みんなの党→)
(無所属→)
自由民主党
称号 正五位
旭日中綬章
親族 長女・本田顕子(参議院議員)

選挙区 熊本県選挙区
当選回数 1回
在任期間 1998年 - 2004年

選挙区 熊本市選挙区
当選回数 3回
在任期間 1987年 - 1998年

当選回数 2回
在任期間 1979年 - 1987年
テンプレートを表示

本田 良一(ほんだ りょういち、1940年4月24日 - 2022年7月22日)は、日本政治家参議院議員(1期)、参議院沖縄及び北方問題に関する特別委員会委員長、熊本県議会議員(3期)、熊本市議会議員(2期)などを歴任。

尚、現職の阿蘇市派出畳店出の本田雄三議員とは関係ない

来歴

[編集]

熊本県玉名郡南関町出身。熊本県立南関高等学校を経て、北九州市立大学外国語学部中国語学科卒業。

1964年日本電信電話公社九州電気通信局に入社する。

1979年熊本市議会議員に初当選し、2期務める。

1987年熊本県議会議員初当選。3期目の満了まで6か月を残した1998年第18回参議院議員通常選挙旧民主党公認で熊本県選挙区から立候補。この時自民党熊本県連が2議席独占を狙って現職の浦田勝に加え、新人の木村仁を擁立したため、保守票が分裂し漁夫の利を得る形でトップで初当選。木村が2位で当選する一方で浦田が落選した。

任期中は1999年国旗国歌法案の採決で党議拘束はなかったものの、社会党・社民党出身ながら賛成票を投じた。2000年総務委員会委員、2003年沖縄及び北方問題に関する特別委員会委員長を務めた。

再選を目指した2004年第20回参議院議員通常選挙では熊本選挙区が改選数1人に削減され、木村との現職対決となったが落選。その後、2006年熊本市長選挙に無所属で立候補するが、現職の幸山政史に敗れ、落選。

2007年11月、民主党を離党。その後2010年5月にみんなの党に入党した。みんなの党の解党後は長女の顕子と同様に2018年8月に自由民主党に入党した[1]

2010年旭日中綬章を受章。

2016年7月、文芸社より「毛沢東中華人民共和国と21世紀世界の資本主義と民主主義」を上梓した。

2022年7月22日午後、心不全のため、死去[2]。82歳没。死没日付をもって正五位に叙された[3]

家族

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ “旧みんなから比例自民公認の本田氏 熊本県内票で勝負、野党は警戒”. 熊本日日新聞. (2019年7月15日). https://this.kiji.is/523327658495837281?c=39546741839462401 2019年7月17日閲覧。 
  2. ^ “<速報>元参院議員の本田良一さん死去 熊本選挙区で1期”. 熊本日日新聞. (2022年7月22日). https://kumanichi.com/articles/734996 2022年7月22日閲覧。 
  3. ^ 『官報』第802号6頁 令和4年8月23日
議会
先代
佐藤雄平
日本の旗 参議院沖縄及び北方問題に関する特別委員長
2002年 - 2003年
次代
谷林正昭