三善信二
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三善 信二 みよし しんじ | |
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生年月日 | 1921年1月30日 |
出生地 | 日本 熊本県 |
没年月日 | 1979年3月7日(58歳没) |
死没地 | 日本 東京都港区 東京慈恵会医科大学附属病院 |
出身校 |
東京帝国大学法学部 (現東京大学法学部) |
前職 | 官僚 |
所属政党 | 自由民主党 |
称号 |
従三位 勲二等瑞宝章 |
親族 | 父・三善信房(衆議院議員) |
選挙区 | 熊本県選挙区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1977年7月10日 - 1979年3月7日 |
三善 信二(みよし しんじ、1921年(大正10年)1月30日 - 1979年(昭和54年)3月7日)は、日本の官僚、政治家。参議院議員(1期)。衆議院議員三善信房の次男。兄はリコー会長を務めた三善信一。
経歴
[編集]- 1921年(大正10年) - 現在の熊本県上益城郡嘉島町で生まれる。
- 熊本中学卒業。同校では柔道に励み、全国大会で準優勝した[1]。第五高等学校卒業。
- 1945年(昭和20年) - 東京帝国大学法学部卒業。
- 1945年(昭和20年) - 農林省に入省。
- 在ビルマ日本国大使館一等書記官、福岡県農政部長、水産庁企画課長、農林経済局総務課長、農林経済局国際経済課長、水産庁生産部長、農地局長を歴任[2]。
- 1972年(昭和47年) - 大臣官房長
- 1974年(昭和49年) - 食糧庁長官
- 1975年(昭和50年) - 農林事務次官就任。
- 1976年(昭和51年) - 農林省退官。
- 1977年(昭和52年) - 第11回参議院議員通常選挙にて、自由民主党公認で熊本県地方区から出馬し当選。
- 1979年(昭和54年)3月7日 - 悪性リンパ腫のため東京都港区の東京慈恵会医科大学附属病院で死去、58歳[1]。死没日をもって勲二等瑞宝章追贈、正四位に叙され[3]、さらに従三位へ位一級追陞[4]。