大河原太一郎
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大河原 太一郎 おおがわら たいちろう | |
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生年月日 | 1922年5月26日 |
没年月日 | 2017年3月5日(94歳没) |
出身校 | 東京帝国大学法学部政治学科 |
前職 | 国家公務員(農林水産省) |
所属政党 | 自由民主党(旧渡辺派) |
称号 | 法学士(東京大学) |
第21代 農林水産大臣 | |
内閣 | 村山内閣 |
在任期間 | 1994年6月30日 - 1995年8月8日 |
選挙区 |
(全国区→) 比例区 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1980年7月8日 - 1998年7月25日 |
大河原 太一郎(おおがわら たいちろう、1922年5月26日 - 2017年3月5日[1][2])は、日本の政治家。群馬県出身。
参議院議員(3期)、農林水産大臣(村山内閣)、参議院予算委員長、農林水産事務次官などを歴任した。
経歴
[編集]群馬県碓氷郡松井田町生まれ。旧制高崎中学、旧制水戸高校を経て、東京帝国大学法学部政治学科を卒業後、農林省に入省。農政局に配属[3]。農業協同組合課長、農地課長、大臣官房予算課長、畜産局長等を経て大臣官房長、食糧庁長官、農林水産事務次官[1]を歴任。
農林水産省退官後、1980年の第12回参議院議員通常選挙で全国農業者農政運動組織連盟に支援される形で自由民主党から全国区で出馬し、初当選[4]。弘風クラブ(参議院中曽根派)に所属し、全国区が比例区に移行した後も同区から出馬を重ね、当選3回。参議院予算委員長[5][6]、地方行政委員長、大蔵委員長[7][8][9][10]を歴任。1994年6月から1995年8月まで村山内閣の農林水産大臣を務めた[1][11]。
1997年には全国山村振興連盟会長に就任[12]。ほかに自由民主党副幹事長・全国農業構造改善協会相談役・全国食生活改善協会会長・農林水産政策情報センター代表[13]などを歴任した。
人物
[編集]全共連会長を務めた新井昌一とは同郷で太いパイプを持っていた[14]。
議員連盟
[編集]- 憲法20条を考える会(顧問)
- 食品産業振興議員連盟(副会長)[15]
- 有機農業研究議員連盟[16]
脚注
[編集]- ^ a b c d “元農水相の大河原太一郎さん死去”. 朝日新聞. (2017年6月2日) 2021年5月28日閲覧。
- ^ “小沢一郎氏と親交あった3人が鬼籍に 平成29年に亡くなった政治家を振り返る”. 産経新聞. (2017年12月18日) 2021年5月28日閲覧。
- ^ 『日本官僚制総合事典』東京大学出版会、2001年11月発行、365頁
- ^ “県連の歩み 年代・昭和55年(1980) ~ 昭和64年(1989)”. 自民党群馬県支部連合会. 2021年5月28日閲覧。
- ^ “第138回国会概観”. 参議院. 2021年5月28日閲覧。
- ^ “第139回国会概観”. 参議院. 2021年5月28日閲覧。
- ^ “第118回国会概観”. 参議院. 2021年5月28日閲覧。
- ^ “第119回国会概観”. 参議院. 2021年5月28日閲覧。
- ^ “第120回国会概観”. 参議院. 2021年5月28日閲覧。
- ^ “第121回国会概観”. 参議院. 2021年5月28日閲覧。
- ^ “歴代内閣ホームページ情報:村山富市 内閣総理大臣(第81代)”. 内閣府. 2021年5月28日閲覧。
- ^ “農林振興速報 第718号 会長就任ご挨拶”. 全国山村振興連盟. 2021年5月28日閲覧。
- ^ “農林水産政策情報センター研究成果”. 農林水産政策研究所. 2021年5月28日閲覧。
- ^ “栄誉を讃えて 新井JA共済連会長の叙勲祝賀会盛大に 農政.農協ニュース”. 農業協同組合新聞 (2004年12月21日). 2021年5月28日閲覧。
- ^ “26日の参院選、食品関係の当選者”. 日本食糧新聞. (1992年7月29日) 2021年5月28日閲覧。
- ^ 足立恭一郎. “「産消提携」 による農の自立 -山岸会の営みを事例にして-”. 農林水産省. 2021年5月28日閲覧。
関連項目
[編集]公職 | ||
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先代 加藤六月 |
農林水産大臣 1994年 - 1995年 |
次代 野呂田芳成 |
議会 | ||
先代 井上裕 |
参議院予算委員長 1996年 - 1997年 |
次代 岩崎純三 |
先代 藤井孝男 |
参議院大蔵委員長 1990年 - 1991年 |
次代 竹山裕 |
先代 宮田輝 |
参議院地方行政委員長 1983年 - 1984年 |
次代 金丸三郎 |