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菊田七平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
菊田七平
きくた しちへい
生年月日 1897年8月20日
出生地 日本の旗 日本 茨城県新治郡真鍋町殿里
(現茨城県土浦市)
没年月日 (1976-11-16) 1976年11月16日(79歳没)
出身校 茨城県立土浦中学校卒業
(現茨城県立土浦第一高等学校
所属政党国民民主党→)
改進党→)
日本民主党→)
自由民主党
称号 正五位
勲三等旭日中綬章

選挙区 茨城県選挙区
当選回数 1回
在任期間 1950年6月4日 - 1956年6月3日

第45・46代 茨城県議会議長
在任期間 1947年5月30日 - 1949年7月4日

第43代 茨城県議会副議長
在任期間 1946年9月27日 - 1947年5月30日


茨城県会議員

その他の職歴
土浦市会議員
( - )
真鍋町会議員
( - )
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菊田 七平(きくた しちへい、1897年明治30年)8月20日[1] - 1976年昭和51年)11月16日[2])は、大正から昭和期の実業家政治家参議院議員(1期)、茨城県議会議長。

経歴

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茨城県[2]新治郡真鍋町殿里[1](現在の土浦市殿里[1])で、旧家・菊田広恵の長男として生まれる[1]。1912年(大正元年)茨城県立土浦中学校(現在の茨城県立土浦第一高等学校)を卒業した[1][2]

土浦商工会議所会頭、湖南通運社長、環産業社長、高津油機社長、霞ケ浦食品工業社長、日神酒造社長、丸果生果社長、関東銀行(現在の筑波銀行)取締役会長などを務めた[1][2]。その他、茨城県農業会長、同県蚕種協同組合長、同県観光連盟会長、新治郡真壁町農会長、同町産業組合専務理事などに在任した[1][2]

政界では真鍋町会議員に2期在任[1]。土浦市会議員に1940年(昭和15年)12月、1944年(昭和19年)7月に選出され、1944年7月、同市会議長に就任した[1]。1941年(昭和16年)に茨城県会議員に選出され、1946年(昭和21年)9月、第44代副議長、1947年(昭和22年)5月、第45代議長、1948年(昭和23年)6月、第46代議長に就任した[1]。その他、土浦土地収用委員会副委員長、茨城県教育委員会委員、消防団長なども務めた[1][2]

1950年(昭和25年)6月の第2回参議院議員通常選挙茨城県地方区から国民民主党公認で出馬して当選し[1][2][3]自由民主党に所属し参議院議員に1期在任した[2]。この間、第3次鳩山一郎内閣労働政務次官参議院地方行政委員長などを務めた[1][2]

1967年(昭和42年)秋の叙勲で勲三等旭日中綬章受章[4]

1976年(昭和51年)11月16日死去、79歳。死没日をもって正五位に叙される[5]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 『茨城県議会史 第4巻』1771-1772頁。
  2. ^ a b c d e f g h i 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』293-294頁。
  3. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』425頁。
  4. ^ 『官報』第12267号10頁 昭和42年11月4日号
  5. ^ 『官報』第14965号11-12頁 昭和51年11月25日号

参考文献

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  • 茨城県議会史編さん委員会編『茨城県議会史 第4巻』茨城県議会、1966年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
議会
先代
油井賢太郎
日本の旗 参議院地方行政委員長 次代
内村清次