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小笠原二三男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

小笠原 二三男(おがさわら ふみお、1910年明治43年)4月12日[1][2] - 1977年昭和52年)7月5日[3][4])は、昭和期の教育者、労働運動家政治家参議院議員

経歴

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岩手県出身[3][4]。1930年(昭和5年)岩手県師範学校専攻科を卒業した[3][4][5]

小学校教員を20年間勤めた[3][4]。戦後、労働運動に加わり全日本教員組合協議会副委員長に就任[5]日本教職員組合が結成され書記長に就任し、さらに同副委員長に就任[3][4][5]。その他、日本教育会常務理事、教育刷新審議会委員、日本教育会館専務理事、日本社会党中央執行委員などを務めた[3][4][5]

1949年(昭和24年)1月の第24回衆議院議員総選挙岩手県第1区に社会党公認で出馬して次点で落選[5][6]。1950年(昭和25年)6月の第2回参議院議員通常選挙全国区に出馬して当選し[3][5][7]、1956年(昭和31年)7月の第4回通常選挙でも再選され[3][8]、参議院議員に連続2期在任した[3][4]。この間、国土総合開発審議会委員、地方制度調査会委員、東北開発審議会委員、参議院地方行政委員長、社会党岩手県連会長などを務めた[3][4][5]。その後、1963年(昭和38年)11月の第30回総選挙岩手県第1区から立候補したが次点で落選した[9]

1977年(昭和52年)7月5日死去、67歳。死没日をもって勲二等瑞宝章追贈、従四位に叙される[10]

脚注

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  1. ^ 『読売年鑑 昭和28年版』434頁。
  2. ^ 『岩手人名辞典』54頁。
  3. ^ a b c d e f g h i j 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』127頁。
  4. ^ a b c d e f g h 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』261頁。
  5. ^ a b c d e f g 『教育界人物地図』119-121頁。
  6. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』25頁。
  7. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』540頁。
  8. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』546頁。
  9. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』26頁。
  10. ^ 『官報』第15153号11-12頁 昭和52年7月15日号

参考文献

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  • 上田庄三郎『教育界人物地図』明治図書出版、1951年。
  • 『読売年鑑 昭和28年版』読売新聞社、1952年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
  • 『岩手人名辞典』(財)新渡戸基金、2009年。
  • 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
議会
先代
中田吉雄
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松岡平市